2015年01月07日

2匹の犬と7匹の猫




まず、我が家に知らぬ間に居ついたのが、
パトラッシュという老犬で、
もう10年近くになる。

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限りなく小汚いワンちゃんで、
それでも朝の散歩は、必ず、ヨタヨタとついてくるし、
夜、ワスが家に帰れば、猛ダッシュで飛んでくる。

ソステ、不定期ながら、
太郎という獰猛なワンちゃんが、
我が物顔で、うちに寄ってくる。

少々荒っぽく、危険な奴だが、
妙にうちを気に入っている。

一方、我が家の猫ちゃんは、
これまで、いろいろと変遷がある。

2009年の12月5日、国王誕生日の日に、
カンフーとカラテと名づけた生まれたての猫がいたが、
その後、よそ様にもらわれていった。

次に、ウランちゃんというドラ猫は、
我が家の筆頭主であったが、昨年、亡くなった。

それと前後して、2011年9月16日に、
娘が全面的に責任をもつといって
(その後娘はBKKに出向き責任放棄)、

そのまま完全に居ついたのがチュノで、
今では、ウランに代わって、
まさしく、家の主のように振舞っている。

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チュノは、自由勝手に家を出入りする中、
当初の2年ばかりは、ちゃんと外で排泄をすましていたが、

ここ1年ばかり、どういうわけか、
ウンチをするのは、どんなに教えても、
家の中のお気に入りの場所にする困ったちゃんだ。

さて、トドメは、半年ほど前、
どこからともなく夫婦ものの猫がやってきて、
うちの庭先で、猫を4匹産んだ。

家人は困った困ったと云いながら、
早く、どこかに、捨てなきゃと云いながら、
誰かに、もらってもらおうと云いながら、

結局、なす術もなく、
そのまま親子ごと住みついてしまった。

仕方なく、毎回大変だ大変だともらしながら、
家人は、猫ちゃん用の食事を、大量に買い付けてくるが、
それもすぐになくなってしまう。

いまだに、チュノは、家の主として、
家の中で、ごはんを食べるが、
その他の2匹+6匹は、外でごはんをあげる。

親猫は、時々、どこかに居なくなるが、
空腹に耐えかねては、
思い出したように、うちに立ち寄ってくる。

子供の4匹は、完全にうちのエリアに居ついている。
朝、ワスが散歩に出る際、玄関先の敷布の上で、
かの4匹が、肩寄せあって眠っている。

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半年経つのに、まだ、体は小さくて、
可愛らしいが、動作は俊敏である。

自分の生活のこともままならないのに、
また、自分の家族も満足に養えないのに、

都合、犬2匹、猫7匹、、、

それでも、日々、癒されている。

2014年03月14日

3月14日、娘キャンディー、満20歳の誕生日!!!




ついこの間、おギャーと産まれたと思った、
当の娘キャンディーが、
3月14日、満20歳の誕生日を迎える。


今は、バンコクのシラパコーン(芸術)大学の2年生で、
例年なら、3月に入れば、学期休みで、
すぐさま、チェンマイに帰省してくるはずが、

バンコクの連日のデモや騒動で、休講などが続いて、
その補講の繰り返しで、戻りは、3月末か、4月になるらしい。

実は、娘が20歳を前に、
年明け早々、本人不在で、
ワスが、彼女の日本のパスポートを申請した。

これまでは、日本とタイの二重国籍でありえたけど、
20歳を迎える前に、
どちらか一つの国籍を選択しなければいけないと聞いている。

それならそうで、以前のパスポートが失効したのを改善するために、
息子アトムと娘キャンディー、合わせて2人分の日本のパスポートを、
ダメ元で、申請してみた。

一応、1月早々、チェンマイ日本国領事館で受理されて、
すでに、二人のパスポートは仕上がっているはずながら、

受け取りの際には、本人が出頭しないといけないということで、
領事館の方に、預けっぱなしになっている。

申請してから、受け取りまで、半年の間は、猶予されるということなので、
子どもたちの学校の休みを待って、受け取りに出向こうと思いながら、
娘がバンコクから戻ってこないので、まだ、受け取りに行けていない。

娘は、いつ頃からか、ワスにとっては、肉親というより、
外国人、もっと云えば、
得体の知れない宇宙人の様相を呈している。

二人で居ても、何にも話せないでいるけど、
その実、やはり、可愛くて仕方ない。

よくぞ、ワスの娘で居てくれたと、
時に、奇蹟のような想いで、
マザマザと人間の顔をした宇宙人の娘を観ることになる。

娘が、ワスの誕生日に描いてくれた、
デフォルメされたワスの2つの顔、、、

悔しいが、笑っちゃうぐらいによく似ている。

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娘と逢えるまで、後、2週間ちょっと。

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年甲斐もなく、チョッピリ、ドキドキしながら、

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娘と日本領事館へパスポートを受け取りに行こう。

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キャンディーちゃん、
ホワイト=バレンタインデー

3月14日、
お誕生日おめでとう。



親バカ
あなたのお父さんより

2013年09月08日

粛々と「お義母さん」を看取る・・・




お義母さんと一緒に暮らすようになって長い。
別宅も完成し、寝たきりになったお義母さんを、
家人は、すべてを投げ打って、誠心誠意看護する。

今年になって、老体はますます悪化し、
看護の内容も、24時間、目を離せない状態で、
ずっと家人がお世話をしてきた。

途中、2回ばかり、危篤状態があり、
チェンマイ病院に運ばれながら、
何とか、奇跡的に回復し、自宅での介護が続く。

8月30日の夜、日付が変わって、31日未明、
お義母さんは3度目の危篤状態で、
チェンマイ大学病院のICUに入った。

お医者さんの言では、もう、永くないということで、
親戚中が病院に詰めかけ、
最期の看病にあたっていた。

31日は、朝、病院から会社に向かい、
例のごとく、給料や各種支払いのために、
ギリギリまで、金策に奔走して、病院の家人からの連絡を待つ。

お義母さんは、完全な意識不明の状況で、医者も断念したところ、
31日も持ちこたえ、とりあえず、自力で呼吸ができないので、
たくさんのチューブをつけたまま、死の淵を彷徨っている。

お義母さんは、すでに生気はないのに、
すさまじいまでの生命力で、
一日一日命を繋げていく。

腎臓の機能がダメで、おしっこが自力で出せないうえに、
延命のための費用が相当にかかるとのことで、
親類縁者の皆、ここからの数日、完全に憔悴状態になってきた。

お義母さんの生命の灯は、一進一退を繰り返しつつ、
どうにも落ち着かないまま、仕事先と病院を往復しながら
ただただ延命の措置が取られていく。

ソステ、迎えた7日、お医者さんとの話し合いの中で、
これ以上の延命措置をとらない決断をし、

日付が変わる時間帯に、チェンマイ大学病院ICU特別室から、
実家ランプーンへ救急車で運ばれた。

8日は日曜日で、ワス自身も、そのまま実家に詰めることになり、
形式的に酸素ボンベに繋がれたお義母さんを粛々と看取ることになる。

お義母さんの体は赤銅色に変色し、とりわけ手足の指は、
真っ黒に成り果てて、もうすでに血が循環していないので、
ひんやりどころか、恐ろしいぐらいに冷たい。

まさに死人以上に死人だ。

家人の兄姉妹7人も集まり、傍らで見守りながら、
朝から、お坊さんも呼ばれ、
いつでも天に召されてもいい状態になっている。

ワスは、限りなくゆっくりと流れる時間の中で、
自然と考えることが多く、
いろいろな想いが去来してきた。

振り返れば、実の母親と暮らした18年間よりも、
この吹けば飛ぶような枯れ木のごとき軽いお義母さんとのえにしが長く、
すでに22年間の月日が流れている。

お義母さんは、時折、酸素マスクの中で咳き込みながら、
死に抗うように、顔を左右に揺らす、それが生きている証拠だ。

<お義母さん、もうじゅうぶんです。
安からに、成仏されて下さい・・・>

口には出さないけれど、ずっと心の中で祈っている。

お坊さんが、
何か、言葉に出して念を送る。

その刹那、、、
お義母さんの呼吸が止まった(ように観えた)・・・

皆が駆け寄り、ワイをして祈る。

そうすると、
お義母さんの体が、
また、ビクンと動く。

お坊さんとお義母さんのそんなやりとりが2,3度繰り返されて、
静かに時間が過ぎる。

そうして、とうとう、
お義母さんの呼吸(いき)が、
本当に止まってしまった。

ワスは、一生懸命に自分の人生をなぞってみる。
幸か不幸か、これまで人の死に、
ほとんど直接関わったことがない。

手術後の実の父親の死に目にも、
1時間ばかり遅れている。

この3月に亡くなった大カンチャナさんも、
知らせを受けて病院にに駆けつけた時には、
やはり、死後1時間を経ている。

生きているその瞬間から、
死して固体となるまさにその瞬間を看取ったのは、
自分の人生の中で、このお義母さんが初めてかもしれない。

・・・「死」・・・

不思議なものだ。

この世の苦しみの一切合切から解放されて、
別の世界に旅立つのだろうか。

それでも、人は死を畏れ、
生に執着する。


お義母さんも、ずっと体の苦痛を訴えながら、
生と死の狭間で闘いつつ、

最期は、何事もなかったように、
全く動かなくなってしまった。

2013年、
9月8日、、
13:50、、、

全く、不可思議な光景だ・・・

それでも、粛々と粛々と、
現前の事実を受け止めていくしかない。

ソステ、、、

粛々と粛々と、
残された人が、故人を悼む。

ワスのお義母さん・・・

享年88歳

もう、苦しまなくても大丈夫ですよ。
どうぞ、安らかにお眠り下さい。


合掌

2012年02月06日

「嗚呼、まちぶせ」娘のタイ大学受験!?



娘が1月に入ってすぐに、
4泊5日でバンコクに出向き、
第一志望の大学受験が無事に終了した。


結果発表は、2月10日
(奇しくも妹の誕生日=妹と娘は顔がソックリ)


娘が中学に入ってから絵画に興味を覚え始め、
中学から高校にあがる頃より、
担当の先生から、娘の絵の才能をのばしてあげて下さいと打診された。

<絵・・・>か。。。

(将来、成功する見込みもないし、お金にならないし、
何より、絵を描くのに、逆にお金がメッチャかかる。。。)


まあ、娘のやる気を見込んで、趣味の範疇でという条件で、
スーパーハイウェイ沿いにある高名な絵の先生の塾に通うことになる。

高校1年、2年と、運動では、バスケットの練習に打ち込んで、
選手として、チェンマイでは、そこそこいい成績を残していたようだ。

ソステ、、、高校最終年、3年に上がる頃より、
将来に向けて、大学受験の相談に明け暮れる。

ワスとしては、
できれば地元のチェンマイの大学に進学してくれることを、
何より望んでいた。

授業料も生活費も安いし、何より安心でいられる。



スカス、、、



娘は、チェンマイを出て、親から離れて遠くに行くことを強く願い、
志望大学は、自分で勝手に決めてしまっていた。


バンコクにあるタイの芸術分野では最高峰の
「国立シラパコーン(芸術)大学」


ワスとしては、いろいろと葛藤がありながら、
「三断ち」と称して、娘の希望が叶うように、
陰ながら、娘を応援していたつもりだった。


昨年の8月、とりあえず、
遠くフアヒンにある全寮制の某大学に合格した。

家人は、かなり喜んで、
娘もその大学のオリエンテーションに参加し、
半分以上は、そこに入学する腹づもりでもいたらしい。

ただ芸術分野での勉強の夢も育み続け、
休まず、絵画の塾にますます打ち込むようにもなった。


月曜日から土曜日まで、毎日16時〜21時。
時には、集中特訓と称して、
学校での2泊や3泊の連続の合宿も1度や2度ではない。


その間、これまでほとんど娘にかまってやれなかった罪滅ぼしとして、
夜の娘の送り迎えをしたが、
そのために相当な時間を費やされた。

夜の9時前になると、
仕事場から、あるいは、ほろ酔いかげんの出先から、
時にはお客さんをホッポリ投げて、娘を迎えに行ったりもした。


いつも娘は完全脱力状態で憔悴している。
髪は真っ白に埃まみれで、
服や体にに絵の具いっぱいこびりついている。


それぐらい一生懸命に絵に打ち込んでいる証なのだろう。



103歳で亡くなった祖父が、美術の先生で、
地元では有名な彫刻や絵画の作品を残していた。
娘の曽祖父であり、どこかで才能が隔世遺伝したのかもしれない。


絵などの芸術的分野で成功するのは、ほんの一握りで、
お金にならないから、そんな勉強をやめさせた方がいいよ、、、
と、大勢の信頼できる方からアドバイスを受けている。

ワスも正直云えば、そう思っている。


大学受験。。。


ワス自身にも、ほろ苦くて痛い想い出が、
ずっと胸の奥に燻っている。


心に秘めた志望大学があり、
当時の国公立大学用共通一次試験を、
高3の18の年から24の年まで、何と7回も受験している。

(こんなド阿呆は他にいないでしょう)


現役の時は、本番の試験でとんでもないミスをやらかして、
早々に散ってしまったのも束の間、

広島から上京して、
渋谷の読売新聞の奨学生として住み込みで働き、
仕事をしながら、予備校通い、、、

結局それも成就せず、
その後は、転々と職を変え、堕ちていく。


笑ってしまうのが、都会でドンドン夜の世界に溺れながら、
受験のシーズンになると、思い出したように、
まずは、共通一次試験に申し込みをして、その都度玉砕。


試験の点数は、確実に前年よりも下回っているのだから、
もっと早く、どこかで、自分の行き方を変えられなかったかと、
時に、痛みと共に思い出してくる。


ですから、大学受験の合否はともかく、
それに賭ける思い入れだけは、
誰よりも深く、熱く、理解しているつもりである。


翻って、我が娘が大学受験に臨む年齢に達して、
何とも感慨無量の趣きがあり、
できれば、娘の志望大学は、深く尊重してやりたい。


スカス、、、

合否は時の運でもあり、努力が報われない時もあるでしょう。
それが挫折ともなり覚醒ともなり、新たな人生の道標として、
それはそれで、貴重な体験になるとも信じている。


<娘は、やるだけは、やった。。。
ベストは尽くした。
それで、ダメだったら仕方がない・・・>


娘は、受験のためにバンコクに発つ前に、
仏壇にあるひいおじいちゃんの写真に、
何度も、お祈りを捧げていた。


その姿を観た時、
何とか、娘の想いだけは、成就させてやりたいと心から願った。
天国のおじいちゃんも同じ想いであろう。


スカス、親である自分が情けないかな、
表面上は理解を示しながら、
娘の才能や努力を信じてやらなかった。


ソステ、2月1日、、、

チェンマイの某ぐでんぐでん(2号店)で飲んでいると、
家人からの電話。。。青天の霹靂。。。


何と、正式な発表の前に、
内々で、通達があり、
娘が目指していたその志望校に無事合格したとの由。


タイ全土から僅かに合格者45名の枠の中に、
第25番目で合格したらしい。


<嬉しさから、驚きからか、全身の力が抜けた・・・>

娘の面影が浮かぶ、、、

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「・・・好奇心、プライド、友情、初恋、嫉妬、ピュア、青春・・・」


いろいろなキーワードの言霊が、チクリチクリと胸を刺し、
心は自分の大学受験時にワープして、
そこはかとない痛みとかけがえのない喜びが交錯する。

2、3日おいて、急激に、また嬉しさがこみ上げてくる。

親バカ丸出しで、娘の高校になってからの写真に魅入りながら、
深い深い思い入れがある「まちぶせ」のメロディーに乗せて、
娘のプチアルバムをYouTubeにアップ。

また、よろしかったらご覧下さいませ。





「嗚呼、まちぶせ」




十代も後半になって、幼さと妖しさを同居させながら、
確実に大人の階段を上っていく娘を、
どこか遠くから眺めることしかできない男親の傷心と焦心。

「シラパコーン大学芸術学部絵画学科」

娘キャンディーは、
来月から生まれ育ったチェンマイを離れ、
バンコクに暮らすことになります。



嗚呼・・・




2011年11月30日

「嗚呼、お義母さんの別宅完成?」



11月に入ってから、
ずっと体調不良で苦しんでいました。
かれこれ、3週間になります。


騙し騙し、自分と向き合ってきましたが、
風邪っ気の症状が抜けず、熱は下がりつつも、
依然として喉の痛みと鼻炎に悩まされています。


時折、咳やクシャミが出始めると止まらなくなり、
鼻水が溢れ出し、関節の節々が痛いというより、
背骨全体に違和感が走る。。。


嗚呼・・・


これまでの健康についての最大限の有り難味を反芻しながら、
「生」と「死」について、
妙に考え込むようになってきました。


つい最近までは、ノー天気に、
「人生元気に120年」などとほざいていましたが、
急に、体力の衰えや気力の減退を覚えているのも事実です。



「生きとし生けるもの、
間違いなく年老いて、
いつしか朽ち果てるなり’’’」


<これまで生きてこれたのは、
モスカスタラ、ものすごいまでの
幸運の連続だったのではないか???>



健康を損ねると、ついつい弱音を吐きながら、
ふと厭世的な気分で、
そんな考えが頭をよぎる。






お義母さんが、
改めて同居するようになって、
4ヶ月が過ぎた。


一日24時間のうち、
20時間は、勝手口脇の長椅子に
横になっている。

時々、何かに憑かれたように、
浮遊のように歩き出すこともある。


空いた部屋が2階にないことはないけれど、
足もままならないので、
階段の上り下りができない。


一番の問題は、トイレとの距離で、
お義母さんご自身、ずっと不自由を訴えていた。


痴呆の気や被害妄想がさらに進んで、
時折、誰かが家族を皆殺しにくる???
などと真顔で大声で訴えてくることがある。


タイ語で、、、

<ロー(ク)・プラサー(ト)>「神経症、ノイローゼ」

あるいは、そのまま、、、

<ロー(ク)・ジッ(ト)>「心の病、精神病」

と家人も現実を受け止めています。



そういう背景があって、
先に、家人の兄弟姉妹七人衆が協議して、
お義母さんの別宅を家の傍に建てることになった。


確かに猫の額ほどの庭であるけれど、
お義母さんの生活空間を広げつつ、

少しでもノンビリと気兼ねなく暮らして頂こうと、
トイレへの行き来や利便性も大きく改善する見込み。



我々家族がお義母さんを終生身近で看病していく中で
こうした別宅建設に掛かる費用は、
他の兄弟姉妹連が調達することになっていたのが、、、


いつの間にか、ウヤムヤになってきて???
タイ的マイペンライ方式で
ほとんどこちらの持ち出しになってきた。


嗚呼。。。



といういことで、8月末から、計画にかかり、
警察官の義兄の手配で、我々自身で資材を調達し、
ミャンマー人の日雇い人夫の力を借りて、労賃を節約。


以前にも触れましたが、20年近くにわたって庭に育ってきた、
バナナ、パパイヤ、ジャックフルーツ、ラムヤイ等の樹を、
躊躇なく取り除き、雨季の真っ最中、工事開始。。。



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資金も覚束なく、
雨が降っては休み、やっては休みの連続で、、、



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土台もコンクリートで固めて、屋根も高くしながら、
諦めないで、少しずつ少しずつ建築を続けていく。




ソステ、、、

この日、11月末、、、

内装を整えて、ようやく完成。。。



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ワスの部屋なんかより、よほど風通しがよくて、
広くて、清潔で、ゆったりと寛げる空間である。


室内のすぐ近くにトイレ&シャワー室も兼備して、
お義母さんも随分と便利に過ごしやすくなるだろう。



お義母さんがこの先、5年、10年、20年、、、
と長生きしてもらえるように、、、


ソステ、、、


いつか来る「生」と「死」の狭間で、
大往生を迎えるその日まで、
我々が傍で見守っていたい。





11月も終わり、明日から師走・・・

2011年も余すところ、
後1ヶ月・・・


まずは、ワス自身、早く健康を回復して、
また、「元気に人生120年」の気力を取り戻したい。


ソーステ、ソステ、、、


他でもない(敬)愛するあなたのために、

今、静かに祈りたい。。。



嗚呼・・・

2011年09月16日

「嗚呼、二人目の猫<チュノ>!?」




いつものように、夜の9時を回った頃、
塾に通う娘キャンディーを迎えに行くと、、、
何やら、小脇にバスケットを抱えている。


内側から、おもむろに、
ミャ〜ミャ〜鳴き声が聞こえてくる???


<サ・マ・カ・・・>


ワス:「ナニ、コレ・・・?」
娘:「かわいいでしょう・・・」
ワス:「ンジャナクテ、ナンナノ・・・??」
娘:「生後、1ヶ月なんだって・・・」
ワス:「ダカラ、ナンナノ・・・???」
娘:「塾の先生から頼まれたの・・・」
ワス:「?????」


バスケットを開けると、
チッチャク、縮こまって、
つぶらな瞳で、覗き込んでくる。


<悔しいけれど、可愛らしさに参っちゃいます。

切ないけれど、無邪気さに引き込まれちゃいます。>



狭苦しい我が家では、、、
でかく成長した娘と息子、それにお義母さん。。。
それでなくても、丸々太った三白眼のドラ猫ウラン・・・

<誰が、この子猫ちゃんの面倒をみるの???>


娘:「私とアトムで世話するから、お願い・・・」


結局、何も知らない家人も、いつしか折れてしまい、
後は、そのままなし崩し的に、既成事実のごとく、
我が家の同居人!?になってしまった。



振り返れば、2年前の暮れ、、、
生まれて初めて生後すぐの2匹の猫(カラテ&カンフー)を飼うが、
事情があって、手放すことになり、、、

それから半年後、息子アトムのたっての頼みで、
同様に生後間もない子猫ウランが住み付いてしまった。



現1歳半の雄猫ウランは、威風堂々と家の内外で暴れまくり、
ブクブク太った体を持て余すように、
いつもジロリと睨みをきかせている。


そんな中に、新しい子猫が紛れ込んだものだから、
新参者とウランのご対面は、さあ、大変???



チッコロイ猫が、
鬼のような形相のウランに立ち向かっていく。


グルグル忙しく飛び跳ねながら、
ウランを牽制している。

その様子を認めて、
即、閃いてしまった。


<嗚呼、チュノ・・・だ>


飼う、飼わないを決める前に、
ワス自身が、チッコロイ猫の名前をすでに決めてしまった。
先だって、痺れてしまった韓流ドラマのタイトルである。


<嗚呼、チュノ、チュノ、チュノ・・・
可愛い奴だなあ、テメーは・・・>


いつしか、キャンディーもアトムも、
親父に負けじと、チュノ・チュノ・チュノ・・・
と覚束ない発音をわからずに繰り返している。


暗闇の戸外、我が哀車!?カラーラの下で、
いぎたなく横になる老犬パトラッシュにも、
新参者のチュノを紹介した。


小汚い体を無造作に投げ出して、
だるそうに首を回しながら、
パトラッシュが、一声<ホ〜ン>と吼えた。




嗚呼・・・

2011年08月11日

「嗚呼、お義母さんの別宅建造中!?」




先に、お義母さんが、終の棲家として、
自分たちと一緒に暮らすようになったことに触れました。


それで、どうしても、トイレが近くにあって、
周りの雑音に悩まされないように、

これまでいろいろな協議の結果、
残りの庭のほとんど全部を擁して、
別宅を建築することになりました。


20年近くにわたって、育ててきた、
ラムヤイ、バナナ、ジャックフルーツなどの樹を、
躊躇なく取り除き、、、

この雨季の土砂降りの中、
急ぎ、基礎工事にかかっています。


お義母さんは、今も、
いつも狭い空間で横になっています。


隣接する新しいトイレ付の別宅が、
お義母さんにとって、ユッタリと寛げる空間であれば、、、
と、そう願っています。


嗚呼・・・

2011年08月09日

「嗚呼、お義母さんと同居・・・」




風呂に入ると一匹の蚊がヨタヨタと飛んでいる。
おもむろにパチンと両手で挟むと、
中からドス黒い血がベットリと噴き出した。


家の出入り口近くで、お義母さんが、横になっている。
いつ観ても、四六時中、横になっている。


お義母さんは、少し、いやかなり耳が遠い。
それにある種、痴呆気味だ。


今年85歳になった。
タイの60代の平均寿命からすれば、かなり高齢になる。


家人には、兄弟が、7人いる。


お義母さんは、親類中をわたり歩きながら、
最後は、ワスたちの家に留まることが、
先月、暗黙の了解のうちに決定した。


お義母さんは、とにかく横になっている。
喋る時は、耳が遠い分、かなり怒鳴り声になる。


お義母さんが起きている時は、、、
概ね、次の3つ・・・


ご飯を食べている時・・・
仏にお祈りしている時・・・
トイレに駆け込む時・・・


時々、トイレに間に合わずに、
オソソすることもある。


お義母さんがトイレに入る時は、
これまた長い。


ワスが、朝の4時ぐらいにお風呂に入ろうとすると、
決まって、その頃の時間に、
お義母さんは、風呂兼トイレの部屋に籠っている。


お義母さんがトイレを出た後、何故か、
蚊がドンヨリと動作が遅くなったような気がする。


パチンとハジクと、決まって、
真紅の液体を目にすることになる。


<備え付けの蚊取り線香も全然効かない・・・>



嗚呼。。。お義母さん。。。


お義母さんは、ワスのことを
名前ではなく、親愛を込めて、
<ルー(ク)>と呼ぶ。


ルー(ク)は、タイ語で、
「(他人ではない身内の)子供」の意であるから、

さしずめ、、、「息子よ・・・」
と呼びかけていることになる。


嗚呼。。。お義母さん。。。


こんな不肖の息子ではありますが、
こんなガサツな家ではありますが、

いつまでも、健やかで、和やかで、穏やかに、
我々と一緒にお暮らし下さいね。



嗚呼。。。お義母さん。。。



2011年01月05日

「謹賀新年、嗚呼、日本の友へ・・・」



新年、、、

明けましておめでとうございます。。。


2010年の年末より、30日の仕事納めを挟んで、
大晦日、元日と、自分の体を極限まで苛め抜くように、
全く眠らない時間がダラダラ不規則に続きました。


年末年始の実質的な仕事の休みは、
僅かに、31日、1日、2日の、3日なのですが、
前後して、多くの大事なお客様やお仲間の皆さんの訪マイが続き、


朝昼晩に拘らず、お祝いの飲み会の機会も多々あり、
さらには、朝、真っ暗なうちから、連日のゴルフ漬け。。。
スコアは泣きたいぐらいの全戦全敗の哀れな結末。。。




そんな折、年が明けて、2日朝にお越しになられる、
貴女と二人の兄貴、3名のチェンマイご到着には、
心が躍るような、切ない想いで、お待ちしておりました。


「一期一会」


人生の出逢いと別れの中で、、、
誰にも、どうしようもなく心が引き付けられる、
貴重な邂逅があると思います。


そして、それは、知り合った期間の長短に関係なく、
たとえ、一瞬の出逢いでも、
その想いの深さが永遠に感じられるときめきです。


いずれ、星の瞬きに比すれば、
人生における1秒の長さも10年の歳月も雲散霧消してしまうぐらい、
所詮、人間の観念的な時間の永さにしか過ぎません。


決して、長い年月における友情関係を否定するわけではありませんが、
同様に、たった一度の出逢いでも、そのまま恋に落ちてしまうぐらいの、
衝撃的な、また、静謐で熱い想いと友情が溢れてくることもあります。



貴女とパートナーの清邁太の兄貴に対しては、
2年半ほど前に、日本の島根からここチェンマイでお逢いして、
そういう想いに熱く駆られた紛れもないお二人でした。

その後、お二人で、チェンマイを訪問される機会が、
ことごとく、信じられないような状況が重なり、
3度も、その直前でドタキャンになりましたね。


1度目は、兄貴のお母様の具合が悪くなり、
2度目は、兄貴のお父様の急死、、
3度目は、貴女自身の突然の心臓のオペ、、、


とりわけ、3度目は、本当に沈痛な想いで、
貴女の哀しみとやるせなさが、
切ないぐらいに伝わってきました。

ですから、4度目の正直である2011年1月2日の訪マイは、
満を持して、お二人ともう一人の兄貴の3名のご到着を、
準備万端、ずっと指折り数えて待っておりました。

お二人の兄貴のリクエストにお応えして、
チェンマイにご滞在中の3日間、無理を承知で、
事前に、3日、4日、5日、それぞれ、ゴルフ場を完全予約。。。


それが、、、それが・・・・・・



今年一年を占う例年の元日のゴルフ初め。。。
ボロボロの敗北感に打ちひしがれながら、
ロッカールームに戻ってくると、日本からの国際電話。。。

とまれ、清邁太の兄貴の重々しいまでに沈んだ声で、、、


<ごめん、また、行けなくなった・・・>



最初、回線が遠くて、聞き取りにくいこともあったけど、
意味を解するまで、暫く、時間を要していると、、、

西日本山陰地方を襲った何十年ぶりかの豪雪と積雪で、
あらゆる交通手段がマヒし、空港も完全閉鎖。。。


後で、よくよく聞いてみると、当の地元では、
大晦日から公道で600台以上が全く身動きが取れず、

夜明かししながら、
そのまま元日を迎えるような過酷な状況であったとの由。


貴女の無念さ、残念さが、、、
時間が過ぎるほどに、
こちらの心の襞の奥底にまで響いてきました。

どんなになっても、どんな状態でも、
今度こそ、チェンマイを目指して飛んできます、、、
と、元気に頼もしく語ってらした貴女の面影が翳ってきました。


ウソのようなあ島根をご出発される元日当日、
まさにそのドンピシャのバッドタイミングで、
またもや、4度目の、ドタキャン。。。

自然の脅威と一言では、片付けられないような、
あまりにも信じられないまでの惨い仕打ち。。。

急ぎ、3日間のゴルフの予約をキャンセルして、
その後の状況と動向に耳目を傾けておりました。


そして、突然、貴女のやるせない想いを僕に宛てた、
「チェンマイの友へ」という書き込みを見つけて、、、
もう、いてもたってもいられなくなりました。


さらには、自分のような未熟者に対して、
最大級の勿体なきお言葉を頂戴し、、、

また、その時の貴女のお気持ちを考えると、
涙が止まりませんでしたですよ。。。


僕の方も、これまでの身体的疲労がピークに達していたこともあり、
それに加えて精神的な落ち込みのダブルパンチにて、

暫く、呆けたようになり、、、
ゆるやかに流れる時間にもたれかかっています。



そして、今日は、1月5日、、、
本当なら、チェンマイを発たれる、
まさにその当日ですね。


本来なら、こちらでささやかではありますが、
貴女のおめでたき素晴らしき日に、
兄貴共々、ご一緒に祝杯をあげさせて頂きたかったです。


酸いも甘いも噛み分けられた人生の大先輩から、
「チェンマイへの友へ」と語りかけて下さいますだけで、
これ以上の言葉はございません。。。

僕の方からも、、、心を込めて、
姉貴分と両兄貴には、大変おこがましいのですが、
あえて、「日本の友へ」と題して、書き込みさせて頂きます。


朝靄に仄かに覆われる霧のようにミステリアスで妖艶なのに、
理知的で落ち着いて颯爽と清涼感を漂わせる人。。。




親愛なる朝霧様、、、

Many Happy  Returns of the Day !!!

お誕生日おめでとうございます。。。




遠く、チェンマイの空の下から、、、
貴女のご健康とますますのお幸せを、
心より、お祈り申し上げております。


今度は、予め、日取りを決められずに、
どうぞ、フラリとチェンマイにお越し下さいませ。


5度目の正直。。。


チェンマイでの再会を鶴首しております。。。




平成23年1月5日吉日・・・
TF:廣山文美王拝


2010年11月18日

嗚呼、娘のチアリーダー!?



<毎度、親バカで、許してつかぁ〜さい。。。>


2010年、11月某日、、、


娘キャンディーが通うチェンマイユッパラート中高校の競技場で、
大運動会が催されました。


学年で云えば、中一から高三までの6学年が入り乱れて、
青、赤、黄、緑、紫 の5つの色とりどりのチームに分かれ、
競技と応援パフォーマンスの団体戦。。。


娘は、毎年、チーム内のチアリーダーに選ばれながら、
今年は、学年がM5(日本の高二相当)にて、

実質的にチアリーダーのキャプテンとして、
3ヶ月前から、放課後、夜10時ぐらいまで、
仲間のみんなと猛稽古???



その晴れの舞台に、どうしても娘にせがまれ、
午後、競技場を覗いてみると、


30度を超える雲一つない青空の下、
若者の熱気でムンムンと噎せ返り、
ようやく娘を見つけた時は、一瞬、絶句・・・



うらぶれた場末のホステスさんのような,
ド厚いメイクと派手な衣装。。。

ちょっとエロチックでもあり、
目のやり場に困りました。。。



自慢めきますが、先祖代々、うちの家系は、足が速くて、
娘も息子もずっとリレーの選手に選ばれ、毎年優勝しています。


娘の運動会を観るのは、小学校以来なので、
一体、何年ぶりでしょう???



娘は、青組のチアリーダーを率いながら、
同じく、青組のM5&M6クラスの女子の部、、、
4人チームの800mリレーと1600mリレーの代表選手。


パフォーマンスを終え、ドレスを運動着に着替え、
長い付けマツゲも厚化粧もそのままに、
第一走者で、トラックを全力疾走。。。



Q.JPG

2位以下を大きく離し、
共に1位で第二走者にバトンを渡すと、
ブッチギリで、どちらもそのまま文句なし、優勝!!!


何だか、日頃のブスーっとした娘の印象を払拭するぐらい、
明るく、楽しく、愉快に、活発に振舞っている姿を観るにつけ、
大人になったなあ、、、と、嬉しいような、恥ずかしいような・・・



ソステ、また、際どいドレスに着替え、
妖しい!?チアリーダーのパフォーマンス???




F.JPG

V.JPG




2時間ぐらい各種競技に見惚れながら、
青春の熱き汗と息吹の身近に感じ、競技場を離れましたが、
その後は、延々と夕暮れまで競技は続いたそうな。。。



結果、団体戦競技&応援の部においても、
娘のいる青組の完全優勝で、チームは大いに盛り上がった由。。。


娘の課外授業もこれを最後に、少し控えるようになって、
後は、M6になると、大学入試に向けて、忙しくなる。


日頃の不健康な日常生活と全く逸脱した、
あまりにも健全で、ピュアなひと時に触れて、、、

終始興奮した娘との会話も弾みながら、
少女から大人の女性にになっていく娘に、
妙にドギマギしてしまう今日この頃です。。。



嗚呼・・・


2010年08月23日

母国で奮闘する盟友!!




流れ流れて、迷い彷徨い、
日本を離れ、異国の空の下で暮らす根無し草。

時にどうしようもないぐらい母国への渇望が湧き、
日本に対する積年の想いが溢れてくることがあります。

それは、自分という人間のアイデンティティーへの希求であり、
確かな心の拠り所を願う本能的な生への憧れかもしれません。



こんなワスにも「刎頚の友」と呼べる人がいるとしたら、
(それは独りよがりのこちらの一方的な片想いであるかもしれませんが)

20数年前、東京で出逢い、我々の仲間の間では、
自然、「サブちゃん」と慣れ親しんでいるその人です。

告白すれば、彼に逢ったその瞬間から、
摩訶不思議なもので、全くの一目惚れだったようです。

何事もアバウトで、行き当たりバッタリの自分と違って、
実にクールに、静かで、落ち着いて、自身をコントロールし、
大人の世界をもっている人。

彼と偶然にも同い年であることが、無性に嬉しくて、
一緒にお酒を飲んでいて、いつも、
包まれるようなあたたかみと安らぎがありました。


年月が流れ、暫く、お互い、音信不通になりながら、
ネットを通じて、いつしか奇跡的に再会。。。

彼は、福岡の地で、
バリバリの企業家になっていたのです。

さらに、驚いたのは、
当時のニヒルで哀愁を帯びた面影は完全に失せ、

メッチャ元気にポジティブで、
天然に明るい彼本来!?のキャラに様変わりしていました。

前後して、彼のブログを読んで知り得たことは、
2003年に大きな病にかかり、死線を越えて、

しかる後に、
「九州一親切な旅行会社への軌跡」と題して、

2004年10月に、福岡の地に、
自身で、「サミット福岡(株)」を設立。


ソステ、、、時は流れて、、、

ひょんなことから、
ワス自身が、初めて、福岡を訪ねる機会があり、
サブちゃんとの邂逅に、これ以上ない幸福を感じ、、、

同時に、この福岡の街の息遣いと人の情の深さに、
いっぺんで虜になってしまいました。

また、そのサブちゃんの底抜けの明るさゆえに、
一際、人の痛みをわかる彼の人間としての度量の大きさと、
福岡の街がよくマッチしています。

そんな敬愛してやまない彼から、
拙「嗚呼、チェンモード」の日記を読んでくれて、

彼のブログの中で、
「異国で奮闘する盟友」と題し、

まるでワスに対するラブレターのような、
面映くも照れくさい内容を紹介してくれています。

サブちゃんこと、、、
「サミット福岡代表取締役」平良卓司氏です。。。
http://summit.yoka-yoka.jp/e527110.html




死を意識し、それを乗り越えた時に、
人としてさらに大きく魅力的な男のユーモアと色香が漂います。

当時、彼の旧ブログにある24日間にわたる闘病記を読んで、
ますます彼という人間に惚れて惚れて惚れてしまいました。

無事に病気から生還して、生について振り返る、、、
彼の真摯で切実な7年前の日記の一部を抜粋しますと、、、

************************************

「病は人を変える」というのは本当の話みたい。

「死ぬということ」を、現実的に、
目の前に迫った実感として受け止めざるをえない状況に置かれると、
人は否応なく変わると思う。

子供の頃に、「あと1週間で地球が滅びるとしたらおまえ何する〜?」
なんていう遊びをやったけど、
その答えをとことん真剣に要求されたという感じ。

「物を盗んだり、人を傷つけたり、思いっきり悪いことやるよ。どうせ死ぬんだもん」
という選択肢もあるけど、
いざ本番になると、人はそういう事は考えないと思う(たぶん)。

残された時間をどのように過ごすか・・・?

残された時間。

考えてみると、何も「余命いくばくもない人」に限らず、
元気な若者も、1歳の赤ちゃんも、永遠の命を持ってない限り時間は限られている。
なかなか実感できないけどね。

「残された時間の今日は初日だ!思いっきり楽しく、今日という日を過ごそう!」
これは最近の僕のお気に入りの言葉。

僕は僕自身に、病を通して何を学ばせようとしたのか。
そして、これからどのように生きろというのか。

ちょっと気づきつつある今日この頃。
お楽しみはこれからだ!!!

**********************************

暗さの微塵の欠片もなく、
あくまでもポジティブで明るくひたむきで、
ワスの沈痛していた心にも大きな活を入れてくれました。

そんな彼が、ワスのことを「盟友」と呼んでくれることに、
最大限の誇りを感じ、これ以上の嬉しさと喜びはありません。

ワスが異国の地で、もがき足掻きしながら、
サブちゃんが日本で、頑張っている姿に、
どれだけ叱咤激励されたことでしょう。

サブちゃんこそが、ワスにとっての、、、
「母国で奮闘する盟友!!」


ワス自身、精一杯、切磋琢磨して、
彼の盟友と呼ばれるに値する人間になりたい。


嗚呼、ソステ、いつの日か、、、
彼の住む福岡とこのチェンマイが何かしらでリンクして、、、
「サミット福岡」→「チェンマイ」が浸透しつつ、、、

それが、ひいては、、、
日本とタイを結ぶ架け橋になることを強く強く念じています。


嗚呼・・・

2006年10月、マツケンサブちゃんのテレビ出演




「サミット福岡たいら」@ミクシー
→ http://mixi.jp/show_friend.pl?id=2617848


2009年12月05日

初体験、カンフー&カラテ!?

このタイトルからすると、
まるでカンフーと空手の一騎打ちか???
などと誤解されそうですが、、、

決してそんな物騒なことではないです。

反抗期を迎えた小六になる息子が、
過日、何だかしおらしい言葉で問いかけてくる、、、

「オトウサン、、、ネコ、カッテイイ???」

ワスが子供の頃に一度だけ犬を飼ったことがある。

ソステ、今、家の前にほとんど押し掛けのごとく、
一匹の限りなく小汚いヨボヨボの野良犬が、
知らぬ間に居ついているが、

これまで、ワスの生涯において、
ネコは飼ったことがない。。。

ワスは返事を保留した。
それがそのままワスの答えとして、
生き物を飼うのはもってのほかだと暗に息子に示していたつもりだった。

12月に入り、大切な訪マイ中のお客さんをご案内して、
チェンマイを離れ、チェンライに遠征して、
暫くぶりに家に戻ってみると、、、

何と、何と、目の錯覚か、、、
家の中を大ぶりの野鼠がノソリノソリと動いたように見えた。
それも黒と灰色の二匹。。。

マジにギョッとした。

よくよく見ると、生まれたばかりの、
小さい小さい子猫ちゃんではないか???

我が目を疑った。。。

息子は灰色の方がお気に入りのようで、
すでに勝手に「カンフー」という名をつけていた。
黒色の方には、まだ名前がないという。

それなら、ワスが、黒ちゃんの方をその場で即座に、、、
「カラテ」ちゃんと呼んでしまった。

さて、行き掛かり上、息子を叱るわけにもいかず、
暗黙の了解のうちに、2匹の子猫ちゃんが、
うちの家族の一員になってしまった。


DSC04111.JPG

当初はオドオドしていた二匹の子猫ちゃんが、
何故かワスに一番なつきだして、
ワスの股間を目指して潜り込んでくる。

DSC04112.JPG

そうなると何だかワス自身が癒されているみたいで、
メッチャかわいく見えてくる。

嗚呼、、、

「カンフー」と「カラテ」、、、

外には、小汚いほどに可愛いらしくいとおしい「パトラッシュ」。。。

知らぬ間に、一匹の老犬と二匹の子猫が、
生活を共にすることになった。。。

嗚呼・・・

12月5日は、タイ国王のお誕生日で、
タイ全土で祝日です、、、


嗚呼・・・







2009年11月07日

「合成写真」で嗚呼、微苦笑!?


10月が終わり、11月に入っても慌しく、
アッという間に、1週間になります。

中学校に入ったぐらいからここ3年ばかり、
年頃の娘との関係がギクシャクしながら、

高校に入学した頃から、
自然に打ち解けてきたような感じで、
何となく、良好の状態が続いている。

特に、最近、日本人女子高生二人の短期ホームステイの経緯があり、
その後も、日本語が不得手な娘が、ワスを一途に頼るようになり、

娘が日本の彼女たちとの何度もメールでのやり取りの中、
日本語→タイ語、タイ語→日本語をお手伝いする過程で、
俄然、父親のワスの株が上がってきた。

朝の散歩にも、積極的に付き合うようになり、
ねだるように、伺うように、甘えるように、
腕を絡めてくると、照れながらも、グッとくるものがある。

一方、息子の方は、小6になって、
完全な反抗期に入ったようだ。

急に背も伸びて、同時に生意気具合も度を越して、
時々、コツンとやることも、一度や二度ではない。

スカス、こうした姉弟の仲は、総じていい。

ネットで遊んでいる娘と弟は、
ありとあらゆる写真をコレクションしながら、
時に、わけのわからないことでお茶目に遊んでいる。

「オトウサン、チョット、コレミテ・・・」

娘の誘い水に、モニターを凝視しつつ、
二人は大爆笑しながら、何やら映画の画像などを拾って、
合成写真に興じているようだ。

一瞥して、ワスも吹き出してしまった。

恍けた、息子の顔が無表情に映っている。


Atom1.jpg


こんなのもある。


Atom2.jpg


トドメは、キモクテエグイ、ワスの分まであった。

TF1.jpg




何だか、小難しい顔をしていても、
これらを観ると、何度でも笑えてしまう。



それ以降、、、
息子も知らないうちに朝の散歩に、
渋々ながらも付き合うようになった。



嗚呼・・・微苦笑・・・

2009年08月19日

娘とのコミュニケーション!?


娘キャンディーもM4となり、
日本の学年で照らし合わせれば、
花の高校1年生ということになる。

ここ、2、3年、ほとんど会話らしい会話もなく、
まるっきりすれ違いの生活が続いていた。

スカス、、、ここ最近になって、、、

夜遅く帰っても、「オトーサン、オカエリナサイ」、
朝も「オトーサン、オハヨーゴザイマス」などときちんと挨拶を交わし、
急にワスに笑顔で話しかけてくるようになってきた。

慣れないことでドギマギする半面、非常に嬉しくもある。

ここで、あえて断りを入れれば、
よく娘は片言の日本語でも話せるものと誤解されがちですが、
ほとんど、というか全く日本語はわからないでいる。

極めて最低限度の決まり文句の日本語の語彙のみで、
例えば、朝昼晩の挨拶言葉、オヤスミナサイ、オトーサン、オカーサン、、、
さらには、アリガトウゴザイマス、スミマセン、ゴメンナサイぐらい。

後は、せいぜい、食前、食後に半ば強制的に発する必要がある、
イタダキマス、ゴチソウサマデシタの類のみ、、、
(これを云わないと、ご飯を食べさせないようにしているので・・・)

そんな娘が、高校1年生に進級するようになって、
第二外国語で日本語を選択したようだ。

当初は嬉々として、日本語の勉強に励んでいたようであるけれど、
暫くして、すっかり意気消沈し、元気がない、、、

日本語をチョイスしているクラスメートが30人ぐらいいる中で、
娘が、一番、日本語の成績が悪いらしく、
「父親が日本人なのにどうして、、、!?」
と友達によくからかわれているようだ。。。

それを聞いて、どうにも切ない気持ちに駆られはしたけれど、
何とも如何ともしがたい、、、

挙句の果てには、放課後、YMCAかどこかで、
日本語の特別クラスを取りたいとも言い出す始末、、、

穿った言い方をすれば、ワス自身、
ずっと以前に、アルバイトでタイ人相手に、
日本語を教えてきた経験が何度もある、、、

早い話が、ワス自身が、時間を割いて、
娘に教えてあげられれば、
それで済むことなのだ、、、

スカス、、、肝心の自分の子供に対しては、
これまでその日本語の教授を一切してきてこなかった、、、


振り返れば、ひょんなことから、
一昨年、娘の映画の関係で、日本は福岡や広島の土を家族で踏んだ際、
日本の町並み、文化、料理等々、並々ならぬ興味を覚えたようだ。

ワスのルーツが日本にあるように、
娘にも純然たる日本の血が半分流れており、
日本への憧れが急激にオーバーラップしてきたようなのだ。

遅ればせながら、高校1年生になって、
日本語の科目を選択したのも、
自分なりの秘めた大きなモチベーションなのかもしれない。



さて、娘とは、これまでずっと距離があいているような疎外感があったけれど、
最近では、チョクチョク、彼女の方から話しかけてくるようになった。

たいていは、何かを指してアレ・コレは、日本語で何て言うの?!ってことから、
たくさんの日本語の宿題を定期的に手伝わされる、、、

これまでだったら、ただただウザッタイだけだったのが、
親バカなもので、年頃になった娘に、話しかけられたり、
チョットかまってもらえるだけで、何だか、スゴク、嬉しかったりする。

さらには、娘によく呼び止められて、、、
新しい、流行りのタイポップスを紹介してくれる、、、
あるいは、新しい映画のおねだりだったりする。

そうしてとびっきりの笑顔で飛びつかれたりすると、
不覚にも、オトーサンは慌ててしまって、
ついついこちらの声が裏返ったりするのだ。

娘はそんなワスのリアクションすら楽しんでいるように、
いつしか表面の棘棘が取れ、言葉や態度にやさしさや丸みが出てきて、
全く別の人格が宿ったように、急に大人っぽく美しくなってきた。

以前であれば、娘との会話の糸口さえ見つからなかったけれど、
いつしか、日本語で、コミュニケーションを交わせたら、
どんなにか素晴らしいだろう、、、って微かな希望がわいてくる。

ワスも積極的に性根を入れて、
もっともっと娘との共有する時間を増やしていこうと考えや行動を改めつつ。
これまでの失われてきた家族とのコミュニケーションの時間を取り戻したい。

それは、自分自身への家族に接する心的態度や問いかけに他ならない、、、

娘との不器用なコミュニケーションがその一端になればいい・・・


2009年08月09日

旧友と20数年来の邂逅!?

ネットとは奇跡的なドラマを演出する。



ワスは、日本で、大学を中退した後、
渋谷新宿池袋と流れ流れて、夜の世界にドップリと浸かる。

24を過ぎて、そんな水商売から一切足を洗い、
一時、昼間の某語学専門学校に在籍した。

その時過ごした1年弱の月日の間に、
かけがえのない多くの貴重な友人ができた。

すっかり都会の垢に染まってしまったワスとは大違いで、
純粋無垢な!?、当時18,19の男女が、
非常に眩しくキラキラ輝いて見えたのも事実である。


その中の一人、高校を卒業してすぐ入学してきたRちゃんは、
当時ジャニーズ系のアイドルだったひかる一平を、
ポチャっと丸みを帯びさせたようなカワユイ男の子。

半周りも年の開きがあるのに、何故か妙に気が合って、
彼のことがもう、可愛くて可愛くて仕方なかったのだ。

授業を終えて、よく仲間の皆で一緒に飲みにいきながら、
Rちゃんに男女間のことでチャチャを入れたりすると、
超真面目な彼の「ひで〜よ」と云う決まり文句がたまらなくおかしい。



あれから、20数年???



ワスは、日本を離れて、アメリカはシカゴへと流れていく。
Rちゃんは、その後、イギリスに留学して、
彼の地から、こんなヤクザなワスを2回もシカゴまで訪ねてきてくれた。

年若いのに、非常に礼儀正しくて、男気があって、
女性に対して、ある種潔癖で、
そんな彼と不思議にウマが合ったのが、本当に微笑ましい。


渡米して6年後、ワスはアメリカの永住権を取得すると同時に、
それが、アメリカを離れるキッカケとなって、
タイはチェンマイに流れ着き、家族を得ることになる。

光陰矢のごとし、、、
タイに来てからも、
ざっと、18,9年、、、


さて、怒涛の2009年の年が明けて、
ひょんなことから、懐かしのRちゃんから突如メールが来る。
まさに晴天の霹靂だった。

彼は、中国は北京でホテル関連の仕事に就きながら、
家の事情で、日本に帰ることを決意したばかりだと云う。

何度かメールをやり取りしながら、
この6月、チャーミングな日本人女性を同伴しながら、
ついに、チェンマイへ、わざわざワスを訪ねてきてくれた。

<イヤ〜、、、ぶっ飛んだ、、、>

あの純真無垢で、穢れを知らない若き青年が、
長い時間を経て、ジャニーズ系のひかる一平から、
「チャーリーとチョコレート工場」のウンパルンパに豹変している。

スカス、、、20数年の歳月が雲散霧消して、
懐かしさといとおしさと可愛らしさが綯い交ぜになって、
抱き合うように、慈しむように、美酒に酔った。


もし、ネットというシステムがなかったら、
おそらく、それから先二人の間にコンタクトする術は全くなく、
二度と逢えることなど、もう到底なかったであろう。

彼と寄り添う愛らしい彼女が、
明るくて、歌が上手くて、酒好きで、超ワスの好み・・・

<よくぞ、こんな素敵な彼女を口説き落としたものだ、エライ・・・>


その彼が、また、チェンマイに、
今度は一人で、日本からワスを訪ねにやってくる。
嬉しくないわけがない。

スカスのスカス、今度は、僅かに二日間、、、
12日の昼には、チェンマイを後にする。

<Rちゃん、ごめ〜んね、この間が微妙に慌しいよ・・・>


でもね、これからは何度もお互いがお互いを行き来できるような環境になって、
大事な旧交をあたためながら、未来永劫付き合っていきたいよね。

<Rちゃん、、、今は、間違いなく、
ワスよりも、おっちゃんとしての貫禄があるよ・・・>


嗚呼・・・




2009年06月27日

6月27日、Thank You!!!

★親愛なる人へ、、、



ようやく祈りが通じました。

今日という日に、あなたへの想いを綴ることができます。

心からおめでとうございます!

そして、、、

本当にありがとう!!



知らない間に、2009年も半ばを過ぎます。

ただ、自分にとっては、ようやく新しい年が始まった気分です。

もう一度やり直します。



どうぞヨロシクお願い致します。


2009年6月27日吉日
Thank you Thank you Thank you・・・

2009年03月14日

3月14日、15才・・・



<よかったぁ〜、、、>心から素直にそう思う。

これまでずっと真っ暗で出口の見えないトンネルを、
前なのか、後ろなのか、右なのか、左なのか、、、
何にもわからないまま、進んだり、立ち止まったりしていたけれど、

ようやっと、ほんの少しだけど、
気持ちが前向きに動いてきたように安堵している。

もしかしたら、また、生き方を改められるかもしれない、、、
やり直せるかもしれない、、、そんな微かな希望さえ見い出せてきた。


ところで、、、

3月14日、「ホワイト=バレンタインデー」、、、

今日は、娘キャンディーの満15才の誕生日、、、


これまでの自身が被ってきた、、、
プライベートな混乱や落ち込みとはまた別に、、、

娘ともほんの些細な事で、衝突したっきり、
暫く、会話もなく、関心もなく、やりとりもなく、、、
お互いに、哀しいのか、淋しいのか、よくわからないでいたけれど、、、

朝、寝ぼけ眼の娘に、
「お誕生日おめでとう」の言葉をかけることができた。
娘は、ちゃんと、反応して笑顔と言葉を返してくれた、、、



タイでは、(あくまでもタイ国籍を有する者が)15才を迎えると、
タイ政府内務省が管轄するところの、
「バット・プラチャーチョン」が発行される。

これは、基本的にタイ人であることを証明する、
いわゆる「タイ国民IDカード」に他ならない。

また、この15才を境に、タイの公的文書等においても、、、
男性の場合は、「デックチャーイ(=男の子)」から「ナーイ」に、
女性の場合は、「デックイン(グ)(=女の子)」から「ナーンサーオ」に変わる。

つまり、この時点以降、、、
社会的には成人した男子&女子として認識されるようになるようだ。

今宵は、いつものチェンマイでは一番のお気に入りの、、、
ハート型ブルーベリーチーズケーキを買っていって、
ささやかに、娘の15才の誕生日を祝いたい。



「ハッピーホワイトバレンタインデー・・・」

「ハッピーバースデートゥーキャンディー・・・」




ようやく暗闇からの出口を模索しつつ、
自分自身も、少しずつ変わっていきたいし、
また、変わっていかなければいけない・・・そう念じている。




2009年02月20日

2月20日、本来ならば・・・

祖父が亡くなって、
あっという間に時間が過ぎた。

思っていた以上に、心の落ち込みはひどく、
日々、どうしても物事をネガティブに捉えるがちになる。

振り返って、祖父は、軽く120歳まで生きるものだと、
根拠もなく、漠然とそう信じ切っていたので、

いざ、避けられない現実に直面すると、
完全に慌てふためいてしまった。

年が明けて、この新しい年は、
何事に対しても、積極的にポジティブに行動する予定が、
逆に、どうにもこうにも心が晴れない重たい時間が続く。



過ぎたことはクヨクヨ悩むのは止めて、
何とか、この2月20日を境に、
また、総てをバリバリ頑張ろうと思っていた矢先、

またどうにもリカバリーできない厳然たる事実に直面する。



この日、熱く、復活宣言をするはずが、
膨らんだ風船に穴が開いて緩やかに萎むように、
ますます心が沈没していき、全く、自分らしくない。


生きていれば、今日が、祖父の満104歳の誕生日、、、

さらには、もう少しで、49日の法要が広島であるが、
また、どうにもこうにも帰れそうにない。



おじいちゃんの魂よ、どうぞ安らかに、、、
ご冥福をお祈りします・・・


<早く、心も身体も、立ち直らなければ・・・>


2009年01月15日

「104歳」を目前に・・・




多分に思い込みによるところが大であるけれど、
年が明けて、総てに対して、前向きに、積極的に、、、
アクションを起こそうと云う気持ちに駆り立てられていた、、、

スカス、、、

昨年末、、、
師走より続いている原因不明の体調不良が、一向に改善しない、、、

とりわけ、、、年が明けてから、身体の両肩から背骨にかけて、
何かがぶら下がっているような、異常な重みと気だるさ、、、

極めつけは、6日、7日、肩甲骨に熱い鉄板を貼り付けたような激痛が走り、
二十年以上に亘って、毎日欠かさず続けている朝の倒立の体操が全くできなかった。
何とも奇妙な感覚だった、、、

ソステ、、、

8日深夜、、、広島の妹から唐突に連絡があり、
この夜、祖父が亡くなったことを告げられた、、、

<絶句して、完全に固まってしまった、、、>

ワスが根拠のない大ぼら吹きのごとく、
シッカリ120歳まで生きてみせると広く宣言しているのも、、、
いつも体も頭も心も元気いっぱいの祖父の存在があったからだ、、、

後1ヶ月で、104歳だった、、、


祖父は、一度、100歳を目前にして、
チェンマイの地を踏んだことがあり、

一発でこの地が気に入り、真剣にチェンマイへの移住を、
終の棲家として考えたことがある、、、

そのために、彼の身の回りの品々をスッカリ整理処分し、
エアチケットを用意して、後はワスが迎えに行く段取りになっていたのが、

出発直前になって、父方の親類縁者の横槍&猛反対を食らい、
泣く泣くチェンマイ移住を諦めた経緯がある、、、

時々、遠く、電話で話した祖父の声には、
その無念さを繰り返し、謳っていた、、、

祖父が居住しているのは、
広島のローカルの果ての果てにて、
ちょっとやそっとで行けそうにない隔離された老人ケアホーム、、、

2009年の正月、、、年頭の挨拶にて、、、
当の祖父の部屋直通の電話に呼び出しができないでいた、、、
それから、僅かに一週間、、、

祖父は、突然鬼籍に入った、、、
その刹那、親類身内の中で誰一人として看取る人もなかったらしく、、、
さぞや、無念であったことでしょう・・・


その後、実家の母や妹とコンタクトを取りながら、
当然、通夜や葬式のために広島に帰るべきであったが、

結局、チェンマイを動けず、
祖父が愛したこの地で、喪に服していた、、、

信じ難いことであるが、、、年が明けてから、、、

家人の実家の不幸が立て続けに二人出て、、、
従業員のDさんの母親が意識不明の重体に陥り、同じくMさんの叔父が倒れ、
さらには、今朝方、Aさんの父親の突然の訃報が入った、、、

身近で不幸の連鎖が続く・・・

暫く、静かに時を過ごしながら、
知らず知らず、祖父の初七日を迎えた、、、

それまでずっと、傍に祖父の霊が漂っているような感覚がどうしても拭えず、
祖父に申し訳ない気持ちでいっぱいになり、、、

成す術もなく、ただただ祖父の冥福を祈りながら、
生きとし生けるものの「生と死」についてずっと考えさせられていた、、、

だけど、考えれば考えるほど、ドツボの深みにはまりながら、
出口のない迷路を彷徨っているような想いに駆られている・・・

ただ、いつまでもクヨクヨ神経を脆弱しているのは、
決して亡くなった祖父の本意ではないであろう、、、

祖父の分まで、家族が皆、慈しみ合い、助け合いながら、
寿命と対峙しつつ、元気に祖父の年を超えて生きていこう・・・

いつか、近い将来、、、
改めて、家族の皆で、祖父の墓参りをしたい、、、

<だから、おじいちゃん、今はごめんなさい、、、
どうか、許してね、、、安らかに天国に旅立って下さい・・・>

声にならない嗚咽を吐く、、、




新しい年、2009年は、始まったばかり、、、

気落ちして、妙に殻に閉じ篭るのではなく、
自分を叱咤激励しながら、日々の出来事に臨んでいきたい、、、

今は、それが、亡くなった祖父への一番の供養だと信じている・・・

2008年07月24日

福岡からのお客人!?

最大限の敬愛を込めて、、、
お秘秘様とお呼びしている、
福岡在住の御仁が訪チェンマイされました、、、

チェンマイプラザ近くの宿泊所にチェックインし、
そのまま、拙宅に拉致、、、

たくさんのお土産を頂きながら、
一番嬉しかったのは、オチャケの類、、、

家人の心ばかりの手料理に、
冷えたビールで、ガンガン飛ばします、、、

その後、九州の地酒を一本飲み切り、
さらに、同じ博多の仙如様からのお届け物で、
泡盛をグビグビといく、、、

結局、お秘秘様には、そのまま自宅に泊って頂き、
いつしか、泡盛も空いてしまいました、、、

連日の酒まみれ、、、

気持ちよく、酔いしれました、、、