2005年01月17日

<激初タイ験> 前々口上

この物語は限りなくノンフィクションに近いフィクションである。

初めてタイに来たとき、
タイに対する全く見当違いの、いわゆる偏見があった。
それがいい意味で、その後裏切られ続けることになる。
タイは非常に懐(ふところ)が深い。
実際にこの目で見るもの、聞くもの、感じるもののすべてが、
驚きの連続であり、好奇心を刺激された。

1年という、たまたま制約された期間ではあるけれど、
このタイと関わった最初の1年間は、
己の人生の中で実に大きな意義がある。

何が何だかわからないうちに、1年が過ぎ去り、
タイについて感じたこと、体験したことが風化してしまわねうちに、
何者かが憑依したかのごとく、当時1週間ほどで書き上げた。

文章は稚拙だし、客観的に読み返してみると、
自己陶酔も甚だしい独りよがりの体験記になっている。

ただ、自分はこの1年という期間に拘りたかった。
タイに対してあまりにも無知で、純粋で、
オープンマインドだった当時の自分が、
ある種、いとおしく思えてならないからだ。

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<激初タイ験> 前口上



激動の初タイ験、

いよいよ連載開始!!!


<とうとう覚悟を決めて、自分の恥部を暴露しながら、
過ぎ去ったタイとの関わりの日々を懐かしみ、
改めて、心に沁み刻みたいと念じています。

過日の、前々口上から、ずっと遡り、
この前口上に至っては、もうすでに12年も前のことです。
どこか、不自然さや古めかしさは隠せませんが、
ポツリ、ポツリとその時の言葉で、書き連ねていきます。

できれば、連載という形で、お届けしたいのですが、
毎日の日記の中に不定期に挿入しつつ、
記事がまとまれば、左サイドのカテゴリーの、
「タイに惚れて、自惚れて、、、」の項目に、
随時スライドさせていき、
続けて最初から読めるようにもしたいと思っています。

まだ、頭の中のイメージでは、
どういうふうに発信していけば一番有効的なのか、
確固とした答えが見い出せないまま、
とりあえずは、スタートしながら考えることにしました。

この本文中でも、
我が分身、狂介君がよく好んで使っていますが、
「迷ったら、Goだよ!!!」です。

いろいろご意見ご感想などございましたら、
ご遠慮なく、コメントの方にでもご連絡下さいませ。
ビシビシと覚悟しながら読ませていただき、
同時に反省の糧にさせていただきます。

読者の皆様のご支援の程をよろしくお願い致します。>

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<激初タイ験> 目次



お約束どおり、できる範囲で、連日掲載していきたい所存です。

とりあえずは、目次を大まかに設定しました。

実際に1年の間に、7度、来タイした過程を記し、
便宜上、各項目にタイトルをつけましたが、
そのセンスのなさには呆れ果てております。
(情けなくて、笑っちゃいます。)

あまりに過激な内容につきましては、
あらかじめ、ご容赦の程をよろしくお願い申し上げます。

それでは、皆様のご理解とご健勝を祈りつつ、、、。

タイに惚れて、自惚れて、、、

(タイのかみさん)


by 狭河 狂介 (きょうが きょうすけ)


<前々口上>

<前口上>

<目次>

<1><プロローグ>

渡タイの前に
<2><第二の故郷、硬派の街シカゴ>
<3><「迷ったらGO」と小説「楽官ホテル」>


第一章.初めての渡タイ(1992,2/25〜3/9)
<4><極寒のシカゴから炎熱地獄のバンコクへ>
<5><ドンムアン空港からファランポーンステーションへ>
<6><妖しく淫靡な香り、憧れの「楽官ホテル」>
<7><これが噂のパッポンストリート、あわや乱闘>
<8><OO、OOOのお相手はナーちゃん、OO才>
<9><「楽官ホテル」のハヒフへホ姉さん>
<10><OOOOOOOOO「ミランダ」とエムちゃん、OO才>
<11><店外デート>
<12><マイアミアパートメント>
<13><パタヤOOOO旅行>
<14><エムちゃんについて>
<15><ドンムアン空港での涙の別離>


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<1><激初タイ験> プロローグ


この物語は限りなくノンフィクションに近いフィクションである。

<1>

<プロローグ>


 ドッドッドー、ダッダッダー、、、

 ピーデーンさん、ピーデットさんら(ピーは年上の人に対する敬称)親類の者、ピーティムさんやラックさんなど友人ら総勢13人を乗せた貸切のミニバスが、かみさんの実家ランプーンに向かって、闇の中を切り裂くように進んでいく。もうみんなベロンベロンに酔っ払っている。
 
 1993年4月10日の夜、正確には4月11日の午前3時を回った頃だろうか・・・ミニバスの出発予定が午後8時であったのに、実際にやってきたのは午前1時を過ぎてからという何ともタイらしいルーズさ。案の定、運転手は全く謝るふうでもなく、「マイペンライ、マイペンライ」を繰り返していた。

 この日は早くからみんな集まっていて、メコンウイスキーから始まり、シンハビールを浴びるほど空け、またメコンに戻ってひたすら飲んでいた。年に一度、タイ人ならばすべてを放り出して騒げるソンクラーンの休日前でもある。
 
 成り行きとはいえ、全くおかしなことになってしまった。日本人は勿論、私一人。 しかしかみさんの親類・友人たちは皆顔見知りの者ばかりであるので、何の遠慮もなく、ひたすら注がれるまま、限りなく飲んだ。
 <もう、この際だから徹底的に酔っ払ってやろうーーー>

 他のタイ人はいうまでもなく皆、性根がすわっている。飲むハシからゲロゲロ吐きながら、何事もなかったように飲み続けている。
 
 ミニバスがやってきた時には、正直やっと解放されると思った。しかしこれは考えが甘かった。ここからが勝負だった。本格的な酒盛りになった。メコンをほとんどストレートである。

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<3><「迷ったらGO」と小説「バンコク楽宮ホテル」>


<渡タイの前に>
(1992年以前、、、)


<3>

<「迷ったらGO」と

小説「バンコク楽宮ホテル」>

  


  そこでいつもお世話になっているシカゴの某トラベルエージェンシーで、格安のチケットを手配してもらうことになった。

  少し話がそれるけれども、このエージェンシーにおいて、少なからぬ影響を受けた実に味わい深い人物がいる。

  その人の口癖が<迷ったらGO>
という何とも意味深長な言葉であり、事ある度に、「おい、狂介、迷ったらなあ、GOだよ!」これで決まり。何ともシャープである。

  事実、その後のタイ滞在中、幾多の困難・危機・失敗・挫折、etc.に遭遇した時、何度この言葉にお世話になったかしれない。

  行くべきか行かざるべきか、二者択一でどうしていいやらさっぱりわからない時ほど、絶大の効果を発揮する。<迷ったらGOだよ>答えはいたって簡単なのだ。(しかし、この言葉に従って、地獄を見たことも多々ある。)

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<4><極寒のシカゴから炎熱地獄のバンコクへ>


第一章、初めての渡タイ

(1992、2/25〜3/9)
  


<4>

<極寒のシカゴから

炎熱地獄のバンコクへ>



  さて、いよいよ待ちに待ったバンコク行きである。無知からくる不手際と旅慣れぬ不安からか、わずか2週間の日程であるのに、荷物は膨大な量となった。バカ長い登山用リュックサックと大きな黒カバンに内容物がギッチリ。

  しかもその時の服装が今だから笑えるけれども、Yシャツの上にセーターを着込み、厚手の黒の皮ジャンで覆い、さらに黒のスラックスに黒の革靴ときているのだから念が入っている。タイを少しでもご存じの方なら、その格好がいかに並外れてマヌケであるか察していただけることだろう。

  しかしタイに対する無知もさることながらあえて言い訳をさせてもらえるならば、ここシカゴの寒さは定評のあるところで、冗談ではなく、摂氏マイナス30度前後を記録することさえある。実際、濡れた髪が瞬時にパリパリに凍るほどの寒さなのだ。

  時はあたかも二月、冬真っ盛り。その日シカゴオヘア空港へ向かった時も、事実マイナス20度を下っていた。

  早朝、カウンターでリュックサックの荷物だけ預け、ユナイテッドエアラインの機上の人となり、何が何だかわからぬうちにサンフランシスコで乗り換え、一路遠く果てしないタイペイで二度目の乗り換えをする。

  この辺から、<ちょっとやばいかなあー>という気がしてきた。そうして都合20時間以上の旅路の果てにやってきましたバンコクはドンムアン空港。その瞬間の衝撃は今もって忘れられない。それほど強烈だったのである。

<何じゃ−、コリャー一一>

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<5><ドンムアン空港からフアランポーンステーションへ>


第一章、初めての渡タイ

(1992、2/25〜3/9)
  


<5>

<ドンムアン空港から

フアランポーンステーションへ>



  とりあえずじっとしてはいられない。右往左往しながら、あっちへ行ったりこっちへ来たり。とにかくどんなことをしてでも、まずは「楽宮ホテル」までたどり着くのだ。

  フアランポーンという中央駅まで出られれば、何とかそこから「楽官ホテル」まで歩いていける距離にあることを、機内で読んだガイドブックから情報を得ていた。

  それにしても、私の不細工な格好がよほどけっこうなカモに見えたのだろう。しつこいぐらいに、だれかしら後から後から声をかけてくる。タクシーの運ちゃんからリムジンバスらしきものまでさまざまだ。

  その吹っかけ方がまた素晴らしい。いきなり2000バーツとか1000バーツとかくるのである。いかに無知な私でも、それがどれだけベラボーに高いかということはだいたい見当がつく。

  実際今だって、空港からたとえメータータクシーで飛ばしても、バンコク市内ならだいたい150バーツ(当時)前後で行けるはずだ。しかしその時はそんなことは全く知らないから、ガイドブックだけが頼みの綱であり、それに従って一番安く確実なバス乗場を捜し求めた。

  ガイドブックによれば、あるバスなどは24時間態勢で走っており、しかも空港からは29番のバスが終点のフアランポーン駅まで、間違いなく迷うことなくこの身を運んでくれるはずであった。

  空港の出口と目と鼻の先にありながら、やっとの思いで目指すバス乗場を捜し出す。ラッキーなことに、待つほどもなく当の29番のバスが来た。慌てて乗り込む。お客はそれほど多くない。

  荷物を置いて、やっとこさゆったりした気分になれた。この不自然な格好の異邦人に対する周りの視線が熱く痛い。

  バスの方はというと、おかまいなしに気違いのようにただただひたすら走り続ける。時速100キロは軽く出ているだろう。
  
  窓からたたきつける熱く乾いた空気さえも、束の間、肌に心地よい。いくつもの日本の企業の大きな看板が目に入り、次第に巨大なビルの中に吸い込まれていく。

  やがて終点のフアランポーン駅に着いた。その間、約1時間。興奮していたのだろう、時間はほとんど感じなかった。

  料金は2バーツだったか、5バーツだったかな、とにかく全く記憶に残らないぐらい、それほど安かったのである。

 
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<6><妖しく淫靡な香り、憧れの「楽宮ホテル」


第一章、初めての渡タイ

(1992、2/25〜3/9)
  


<6>

<妖しく淫靡な香り、

憧れの「楽宮ホテル」>



  <いい、いい、この雰囲気。小汚くて、臭そうで、危なそうで、、、>

  いかにも場末の妖しい旅の宿といったニオイがプンプンする。

  薄暗い階段を、一段一段踏み締めて上る。二階。そして三階。だれもいない。

  <こんな夜遅く、まあ当然か>そう思うや否や、ずっと長いローカの突き当たりから上半身裸のおっさんが、<ノソッ、ノソッ>と歩いてきた。

  腹が見苦しいほどにモッコリとふくれているが、不精髭と童顔は何とも愛敬がある。どこか大相撲の元大関小錦を彷彿とさせる。身振り手振りで尋ねてみる。

  とりあえずは部屋はあるようだ。150バーツだという。<おかしいなあ、確かガイドブックでは80バーツとか書いてあったような気がしたけど、しっかり倍じゃねえか>そんな思いがふとよぎったが、こちらにはもう選択の余地がない。

  <まあ、いいか、迷ったらGOだよ>しばしそんな心の押し問答の末、部屋に案内された。

  あまりにもひどい部屋を想像していたので、別段何の驚きもなかった。むしろ部屋は思いのほか広い。しかもベッドが2つ、簡単なシャワーまでついている。<ああ、このシャワーの分だけちと高いんだな>

  勝手に納得してベッドに腰掛けた。前払いで150バーツをその小錦氏に手渡す。そして彼は部屋を出ようとしてふと振り返り、一部はっきりと聞き取れる日本語でこう語りかけてきた。その動作と口振りがあまりにも板に着いた自然な流れであったので、ついつい引き込まれてしまったほどである。

「オンナ、オンナ、

スリーハンレッバー、

ヤスイネー」


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<7><これが噂のパッポンストリート、あわや乱闘>


第一章、初めての渡タイ

(1992、2/25〜3/9)
  


<7>

<これが噂の

パッポンストリート、

あわや乱闘>



  
  その日、バンコク初日はそのまま、午前中から夕方にかけて、ガイドブックの地図を頼りに、バンコク市街をひたすらひたすら歩き回った。

  そして大まかなところを体全体で把握した。確かにバンコクは大都市であり、交通渋滞等はあまりにもひどいけれども、中心地は思ったほど広くはない。

  夕闇迫ると、まずは試しにバスに乗って、噂に名高いパッポンストリートとやらへやってきた。さすがにこれでもかというほどにケバケバしいネオンがぎらついている。見るからに卑猥である。性のニオイがプンプンする。

  それに呼応するかのように、あまりにもボンビキさんたちの勧誘がしつこい。大げさではなく、わずか30分ぐらいの間に一体何人何十人というボンピキさんたちに声をかけられただろうか。

  しかも妖しげな英語と日本語のチャンポンである。

「シロクロショー」、「ミルダケ」、「オマOコ」、「マッサー(ジ)」・・・

  ドアの隙間からは、苦くてピチピチした女の子たちが身をくゆらせながら、トップレスであるいはスッポンボンで踊っている。いわゆるゴーゴーバーの類だ。

  そのうち手持ち無沙汰になり、ついつい「ミルダケ、ミルダケ」の声に誘われて、とある二階のゴーゴーバーに足を運んだ。

  お客の数がやたら少ない。というよりはほとんど見当たらない。何も頼んでないのにさっさとビールが出される。かと思うと、ドッと5、6人の女の子が取り囲んで顔やら胸やら下半身やらに触ってきた。

  それからみんなしてドリンクのオネダリだ。何か急に興ざめして、本能的にも身の危険を感じ、外に出ようとしたところ、いきなりドアをバタンと固く閉ざされてしまった。

  と同時に3人ばかりの背の低いそれでいて人相の極端に悪い男たちが、体をつかんで何やらガーガー叫んでいる。


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<激初タイ験>一時休載のお知らせとお詫び


突然、まるで思いついたように、<激初タイ験>と銘打ち、自分の初めての渡タイ以降の1年間の体験をこのブログに掲載していくよう公表しました。

それに関して、自分としましても、それ相当の労力、それ相応のご批判や風当たりは、ある程度覚悟しておりました。けれど、どこかずっと割り切れない落ち着かない気分が続いておりましたのも偽らざる事実です。

結果として、第6話<妖しく淫靡な香り、憧れの「楽宮ホテル」>まで、連日掲載してきました。

そんな折、今朝方早く、渡米して働いておられる自分のかつての上司でもあり、人生の大先輩でもあり、頼れる兄貴分でもありますI 師匠から、以下のメールをいただきました。

何度も何度も繰り返し判読し、自分が悩み抱え込んでいた大部分を的確にかつ微細にカバーしてくれており、まるで自分の中のもう一人の自分の心情を代弁し、吐露してくれているようにも感じ、痛く沁みました。

I 師匠のご了解を得て、その一部をご紹介致します。

<ーーーさて狂介さんの女性遍歴なしで“激タイ験”を語れるか?それは今となっては無理でしょう。

何故ならば、すでに目次まで公表してしまっているからです。従って、続行あるいは内容変更のどちらだけかと思います。

私としては一部内容変更をお勧めします。その場合には編集に時間が取られましょうが止むを得ないでしょう。

“激タイ験”アメリカ永住権を捨ててまでタイへ走った。その理由付けを何とするか?でもあると思います。

<8><OO、OOOのお相手はナーちゃん、OO才>
<10><OOOOOOOOO「ミランダ」とエムちゃん、OO才>

とにかく、これはまずいです。これは言葉からしてすでに犯罪行為です。まして、それが事実でも公にすれば間違いなく人格疑われます。

XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX(一部伏せ字)。

そんな内容ならば読者のうち2/3はそこで一斉に引き潮でしょう。

それよりも交友関係の広い狂介さんの友人、知人達が、どう思うかです?

と言うか、その前にプロバイダーから掲載禁止の知らせが来るでしょう。

とにかく今、すべき事はその目次を削除する事です。そして、その後は何事もなかったかのように内容を少しずつ変えていけば良いと思います。

しかし、目次がなくなっても一部の読者には記憶に残っている方もいると思います。よってある程度は避けられませんが、その代わり手抜きと飛ばしは幾らでも出来ます。

尚、狂介さんの直接的なXXXXXXX体験談は避けるべきです。何故ならば狂介さんのHPブログの主旨から外れるからです。

例えば“神秘的なタイと言う国を知れば知るほど見るに耐えに忍びないタイの風俗事情を目にした”

また、性の露出表現はプロバイダーの裁定にあるでしょう。

基本的に狂介さんのHPブログは多少、横道それても主旨を忘れずに健全でなければならないと思います。ーーー>


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