2006年05月22日

チェンマイでレーシック1周年、良好!(上)


ワスの5年日記で調べてみますと、
昨年の5月12日、レーシックの手術を受けています。
もう、すでに、1年が経過しました。

その直前、このレーシック手術を見据えて、4月末日、
チェンマイの製造関係の仕事も自主退職してました。

そして、家族で、バケーションを兼ねて、、、
チェンマイからバンコクを経て、
パタヤまで初の長距離ドライブを敢行。

当初の予定では、このパタヤ行きに際して、
ついでにバンコクで、

<レーシックの手術もやっちゃおー>

ということだったのです。

いろいろ事前調査し、
最終的にいくつかある候補の病院の中から、
「サミティヴェート」を選び、予約を入れました。

スカス、バンコク行き直前になって、ドタキャンしました。



一つには、
レーシックは、手術後の経過が非常に大切だということです。

とりわけ、最初の1ヶ月は、
何度か通院してチェックする必要があります。
ワスは、そういう大事なことをすっかり忘れておりました。

また、一つには、
術後、暫くは不自由な生活を余儀なくされるということ。

普段、バンコク在住でもないのに、何かと不備不便で、
経済的にも余裕がないことを失念しておりました。

そして、これが一番大きな要因ですが、
我がお膝元チェンマイでも、
立派なレーシック手術を施してくれる専門医があったのです。

「Best Eye Laser & Vista」

お堀端西方、チェンマイ大学病院の真向かいに位置します。


振り返れば、近視、乱視歴30年を数える、
超ド近眼ベテランでした。

中学までは、両目とも2.0で、逆に見え過ぎ。
それが、中学も後半から、好きなミステリーにどっぷり浸かり、
目を酷使するようになったのが、そもそもの兆候でした。

高校に入ると、パチンコに嵌り、
あの弾けては散る玉を飽きもせず、何時間も見ているうちに、
視力が低下していったのもあっという間。

高校を卒業する頃には、どちらも0.3なかった。

それからは、眼鏡が手放せなくなり、
途中、コンタクトレンズに浮気はしたが、
都合、数え切れないぐらいの眼鏡を新調しました。

ちょうどその頃、空手の世界にどっぷり浸っており、
組み手の最中、右目の角膜を傷め、
視力はますます落ちていきます。

アメリカへ出発する直前には、
左0.1、右0.03という惨憺たる有様でした。

この頃、コンタクトレンズもちょうど流行り初めでしたが、
けっこう高価で、使用するのに勇気が要りました。

スカス、ハードもソフトも試しましたが、どうも体質に合わず、
結局眼鏡を使用したり、外したりの繰り返し。

それが、現在チェンマイ在住に至るまでの、
大まかな個人的眼鏡コンタクトレンズ使用近視履歴です。

ワスも例外に洩れず、
日本人のトレードマークである眼鏡という代物は、
体の一部として一体化しておりました。

<それが、それが、まさか、まさか、こんなに簡単に、
視力が戻るなんて夢にも想わなかったですよ。>


<続く>←引っ張ります!

この記事へのコメント
LASIKですか、僕も数年前にバンコクでですが、受けましたよ。
バンコクの、かの(笑)バムルンラート病院ですね。
僕は超ど近眼で、裸眼で0.01級だったのですが、LASIKにより両目で1.0位までなったのかな。
もう感動ものでしたよ。
コンタクト不要の生活とか、以前は考えられなかったし。
でも、LASIK後も、近眼進むことあるそうなので(知人で、LASIK数年後に不摂生たたって近眼が進んで、再びLASIK受けた人います)、僕も注意しないと。
Posted by Hal at 2006年05月22日 18:48
もしかして、あのHal様ですよね。
どうもありがとうございます。
Hal様が裸眼で0.01というのは、
また、すごいですね。
(超がつくド近眼じゃないですか???)
でも、せっかく、うまくいったのですから、
お互い今後とも注意しないといけませんよね。
目指せ!生涯現役!! 押忍!!!
Posted by タイフリーク at 2006年05月23日 21:39
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