「死」とは???
生と死の境目で、今を生きて、死に逝くのは、
まさに、一つの門をくぐって、次のステージに向かう、
大きな人生の試金石になりうるのではないか・・・
師走の訪れから、いつしか体調を崩し、
時折、微熱のある朦朧とした意識の中で、
生と死の連鎖について、ボンヤリと考えていました。
ソステ、過日、家人が暫くチェンマイを離れ、
待ったなしで始まった、
二人の子供との共同生活の不自由さ、不便さを痛感し、
全く生活能力のない無粋な自分が、
「生(活)きる」ことと「逝く」ということに、
何故か、想いを募らせていました。
そこで、天啓のように、昨年観た映画「おくりびと」を、
もう一度、観たくて、観たくて、たまらなくなったのです。
実は、何ヶ月か前に、娘と一緒にタイの封切映画を観に行った帰り、
DVDショップに寄って、何か心に訴える映画はないかと探したところ、
たまたま目に付いた、
スカモ、安価の「おくりびと」タイ語バージョンを購入して、
ずっと、部屋の片隅に寝かせていました。
この日、最初、改めて、独りで、ジックリと観て、大笑い、
いつしか、、、
熱くなって、クールになって、途中、何度も号泣。。。
しかる後に、思春期の子供たちを交えて3人で、
川の字になって、食い入るように観ました。
この映画を否定的に捉えて、
あまりよく云われない方もおられますが、
文句なしに、痺れ、沁みました。。。
「納棺師」という、一般的には全く馴染みのない職業に視点を当て、
生と死という普遍的なテーマを縦軸に、
親子、夫婦、家族の愛と絆、友情、仕事への誇りと矜持を横軸に、、、
日本の四季折々の自然の移り変わりを、
心に沁み入るチェロの調べが、生と死の意味を紡ぎます。
映画では、日本人の死生観に通じながら、
文字のなかったずっと太古より存在したとされる「石文」が、
父と子の生き様に至る心の渇望や、
目に見えないメッセージを効果的に浮かび上がらせます。
自分を捨てたとする顔も思い出せない主人公の父親に、
30年ぶりで出逢ったのが、まさに生を終えた最期の折、、、
死に関わる仕事を汚らわしいと詰った主人公の妻も、
誇りを以って、凛として奮い立つように、
主人の職業を「納棺師」と言い放った際、、、
「石文」が、父から自分へ、そして、妻からお腹の子供へと、
言葉なき言葉が紡ぎ繋がっていく、文字通り、家族の絆の尊さが、
大きな波に包まれるように、心に迫ってきました。
印象に残るシーンは、それこそ、山とあります。
飄々と人生の襞の裏の裏まで知り尽くしているような主人公のボスが、
常に、厭世的に、それでいて、確信的に、主人公の人生のレールに交錯してきます。
主人公が、仕事に悩み、挫折し、
まさに辛抱の心棒が折れようとしている刹那、、、
ボスがふぐの白子を振舞いながら、
人は生きる、人が死ぬということの意味、、、
他の生き物の生を奪って、
それを食して活きていくことの業の深さにも触れ、
それを認めてこそ、生と死とが表裏一体となり、
生と死の価値観を観る者に、
自然に素直にわからせてくれているのかもしれません。。。
「美味いんだよなあ、、、困ったことに。。。」
この言葉の中に、生きることの、そして死ぬことの、
いろいろな深い意味合いがズシリと沁みてきます。
また、わけありの同僚の女性が、
何とも渋くていい味を出しています。
どこか、無関心で、茫漠としながら、
あったかい大きな優しさで、自らの人生と照らし合わせて、
ここ一番で、主人公に、毅然とした助言を与えます。
「おくりびと」
何とも秀逸なタイトルではありませんか。。。
人は、生きている限り、絶対に死を避けて通れない。。。
また、生と死をタブー視する風潮の中で、
どこかユーモラスに、それでいて、真正面から真摯で誠実な態度で、
死をおくる人、
死をおくられる人との接点が、
人間臭く、それでいて、良心的に静謐に描かれている。
おっかなびっくりのごくごく普通の主人公が、
自然の営みが様変わりするように、季節が流れ、
妻の理解と信頼を取り戻し、父や母との想いを継承し、
いつしか、誇りをもって仕事に打ち込んでいる姿は、
まさに天晴れであり、大きな勇気と希望さえ与えてくれます。
家族を捨て、絶対に許せなかった顔も思い出せなかった父親の面影が、
石文に触れて、自然に、ぼんやりと像を結んでくる過程の中で、
父親に対する憎しみや恨みはいつしか氷解し、
ただただあたたかな感謝と敬意の想いが後から後から湧きあがってきて、
主人公の瞳から、熱い泪が、溢れて止まらない。
ワス事になりますが、、、
中学生の折に亡くした父親のことが脳裏をよぎりました。
当時は、何にもわからずに感じなかったけれど、
父親は、子供を残して、先に旅立つことに対して、
どれだけ、無念で、つらかったことでしょう。。。
今、自分の子供を得て、自分の子供を間近に見て、
つくづくとそれを肌で感じています。
いつしか、亡くなった父親の年齢を超えて、
その当時の自分の年より大きくなった娘と息子と、
この「おくりびと」を一緒に観る時、、、
何とも言葉では言い表せない感慨が込み上げてきました。
「言葉ではない、、、何かを感じ取ってほしい、、、」
そういう想いで日本の伝統も習慣もほとんどわからない、
タイの土壌の上で育った日本人の血をひく二人の子供たちも、
ワスと同じように瞼を真っ赤にさせながら、
この映画にスッカリと魅入っていました。
日頃から、何事にもクールで無関心な今風のタイ人の十代でありながら、
この「おくりびと」から何かを感じ取ってくれたというだけで、
親としてこんなに嬉しいこともありません。
蛇足ながら、この「おくりびと」は、
日本アカデミー賞他の多くの映画賞で、数々の栄誉に輝き、
さらには、本場アメリカの2008年度のアカデミー賞でも、
最優秀外国映画賞を獲得した、掛け値なし、素晴らしい映画です。
このような純日本的な映画が、
きちんと世界のスケールで評価され認知されるのは、
同じ日本人として、最高に嬉しくもあり、誇りにも思います。
親から子へ、子から親へ、
夫から妻へ、妻から夫へ、
友達から友達へ、、、
古今東西、老若男女に拘らず、
いろいろな方に、
繰り返し、観て頂きたい映画の一つです。
合掌・・・
嗚呼・・・