2010年08月24日

「嗚呼、(堕)天使の都!?」



「嗚呼、(堕)天使の都!?」

<事前にお断りしておきますが、今回、とてつもなく長い文章になりそうですので、
お時間のない方やお疲れの方には、最後まで辿り着けない場合も多々あり、
そのような場合には、ご遠慮なく、退席されて下さいませ・・・嗚呼・・・>

ワスのハンドルネームである「タイフリーク」は、
英語で、「Thai Freak」 であり、

日本語に訳せば、ゆるい感じで「タイマニア」、、、
きつい言葉だと、
「タイバカ」「タイキチ」「タイ狂」あたりになるでしょうか!?

タイ文化に関わるタイフード、タイマッサージ、タイ語に興味がある一方、
タイポップスやタイムービーにも非常に心惹かれています。

日本のアニメ、歌、映画やTV番組が、
タイの社会に広く紹介され浸透し、支持され根付いているように、
タイ人と日本人の感性は、時に非常に近いものがあって驚くことがあります。

最近では、タイの映画も日本で一般上映されたり、
タイの芸能人が日本に上陸して、
日本のメディアで紹介されることも少なくありません。

ネットの発達や普及によって、異文化の交流も容易くなり、
その境界線も非常に曖昧になってきて、
寧ろ、積極的に、混在化し同化してきている傾向にもあります。

同時に、タイへのロングステイヤーを含めて、
両国間の人の行き来も非常に活発になってきました。

そんな背景を踏まえて、タイフリークのワスとしましたら、
タイに関わりがあったり、タイに興味がある方にはもちろん、

タイをほとんど知らない方々にも、
もっとタイの良さや素晴らしさを紹介したいと常々願っています。

それが、ワスにとって身近なタイの歌や映画などであれば、
より良心的に真摯に広くアピールしやすいと期待している次第です。

タイに初めて紛れ込んだ20年ぐらい前から、
その時代時代で流行った何とも物悲しいタイソング、、、

当初は意味も何もわからないまま、ただただ聞き流し、
そのうち、気に入った歌手のカセットテープを擦り切れるまで聴き、

そうやって、ツッカエツッカエしながら、
試しに、巷のカラオケでそんな歌をタイ語でトライしながら、
いつしか初めて最初から最後まで歌えた時の純粋無垢な感動、、、

そうこうしているうちに、、、
好きなタイポップスのカラオケの持ち歌が、
一つまた一つと増えてきました。

そんな折、何だかとっても懐かしいメロディーが耳に残ってふと我に返り、
よくよく聴いてみると、、、
日本の有名な歌謡曲のタイ語バージョンだったりします。

当時、著作権などの問題はあまりうるさくなかったのか、
正式な契約の上で、日本の歌がタイで歌われていたのか、
あるいは、そのまま非合法にパクッテいたのか、定かではありませんが、

事実、日本のいろいろな歌が、まるでその歌自身が無国籍化されたみたいに、
タイの昔からの名曲として、
タイの一般大衆にも誤って認知されているのも少なくありませんでした。

そこでふと思ったのは、
逆に、ワス自身の心の琴線に触れたタイの歌を、
自分の国の言葉に置き換えて歌ったら面白いんじゃないか、、、と。

そうしたら、それまで普通にタイのカラオケで歌っていた、
そんなタイポップスの裏の情景が、
全く違った趣きに感じられてきたのです。

一時期、好きなタイポップスを、
同様のタイ語の歌詞、あるいは、あえて全く違った視点から、
日本語の詞に置き換えていくその知的ゲームに夢中になりました。


そうした作業や思考を繰り返すうちに、
ますますタイポップスにはまっていったのも事実です。


さて、あれから何年の年月が流れたでしょう、、、???

時間の経過につれて、、、、
あの夢中になってタイポップスのイメージ世界に遊んだ無邪気な情景が、
いつしか風化し退化し始めていました。

それが、また、この1ヶ月の間に、急激に、
その忘れ去られたタイポップスへの熱き情熱が復活してきたのです。

というのは、最近、YouTubeなどのネット上で、
映像や音声を、実に気軽にアップできる方法を、
チェンマイで懇意にしている真如様より直接ご教授頂きましたから。。。

試しに、やってみると、これが滅法愉快で楽しくて、
出来上がりが一つ一つの個人的なコレクションのようで感動ものであり、
最高の気分転換になりました。

そうなると、さらなるいろいろな試行錯誤の過程で、
当初より念頭にあったタイポップスを日本語の自分の詞の表現で、、、
という思惑が、ムクムクと首をもたげてきたのです。

ということで、あくまでもワス自身の個人的な好みの範疇で、
少しずつ、タイポップスの歌に、日本語の詞をつけて、
ご紹介していきたいです。

何を一発目に取り上げるか、かなり迷いましたが、

ちょうど、1年半ほど前に、拙コミュ「タイ語一(標)語一会」内で、
力説したある大好きなタイソングがありますので、
その時の内容をそのまま引用して、直接アップさせて頂きます。

以上、、、

ここまでが、膨大なる前置き!?ににて、
ここからが、本題に入っていきます???・・・
(ここからの引用文が、これまた、クソ長い、、、)

**********************************

ワスのイの一番に大好きな、
渾身のあるタイの歌をご紹介させて頂きます。

歌のタイトルは、ズバリ、、、
「กุมภาพันธ์=グムパーパン」
「2月」の意味です、、、

同様にこれを主題歌とする映画、
「กุมภาพันธ์=グムパーパン」があります。

歌い手の名前は、 ปีเตอร์ คอร์ป ไดเรนดัล<ピーター=コー(プ)ダイレンダン>
グラミー所属でかなりのイケメンで、
寂寥感漂う、何とも切ないメロディーです、、、


この歌が世に出ましたのは、、、
確か、今から6、7年前!?
2003年ぐらいだったかと思います、、、

それ以前から、ワスは、毎回、飽きもせず、
エアポートプラザ4階にある映画館で、
タイやハリウッド映画を無条件に片っ端から観ていました、、、

とりわけ、火曜日には、プロモーションがあって、
70B!?と料金が安く、タイ人ならあまり座らない前列部を独り陣取って、
ポップコーンを頬張りながら、封切り映画に魅入っていたのです。

今では、タイの映画は随分と洗練され、
シッカリと世界の桧舞台にも通用するようになりましたが、、、

10年ぐらい前では、ピー(お化け)の映画か、
コメディーやドタバタアクションもののB級映画が主体でした。
(ワスは、そういったB級映画も無条件に大好きでしたが、、、)

そんな折、全く、前情報や先入観なく、、、
この「グムパーパン(二月)」を映画館で観ました、、、
完全に虚を衝かれました、、、

ニューヨークを舞台に、、、
タイの男女が運命的な出逢いを果たします、、、
衝撃的でした、、、

これまでのタイ映画にはない非常に斬新な映像だったからです。
ニューヨークの街並みがスタイリッシュに描かれます、、、
キーワードは、「destiny(=運命)」

記憶を失くしたヒロインとアウトローの主人公が、
まるで、運命のいたずらに導かれるように、
タイから遠く離れたニューヨークの地で二人が交錯します。

ニューヨークの何とも気だるい感傷が、、、
ふと、不朽の名作、、、
ロバート=デニーロの「タクシードライバー」を彷彿させました。

やがて、二人は運命に翻弄されながら、
心の螺旋階段を捩るように迎えた終焉、、、
まさにデスティニー。。。そして、場面が暗転・・・

そこで、このピーターの歌声が静かに流れてきました。
ワスは、その時、完全に映画の世界に埋没しながら、
冗談抜きに鳥肌が立ち、ス〜と涙が頬を伝いました、、、

意味もなく、この歌声が、詞が、メロディーが、
体中の細胞に沁み亘り、心の襞を抉られたのです、、、
涙が後から後から流れ出て止まりません、、、


何故、この映画に、これほどまでに、、、
激しく、心を揺さぶられたのか、、、
何度も、何度も、自分自身に問いかけてみました、、、

映画のワンシーン、ワンシーンが、
時に、芸術的な煌きに満ちていて、
完全にそれまでのタイ映画と趣きを異にしていたこと、、、

でも、それだけではない、、、
ニューヨークの何ともシュールな情景が、、、
ふと、自分の脳裏に去来する何かを思い出させたのです。

そう、それから遡ること、10年以上前、、、
他ならぬワス自身が、遠くアメリカシカゴから、
この雑踏の地、バンコクに初めてやってきたその時のシーンと重なったのです。

あくまでも、個人的な見解になります、、、
ニューヨークとバンコクは、全く似ても似つきませんが、、、
同時に、限りなく、同じ土壌に見え、同じ息吹を感じました。

その映画の中のニューヨークと、
ワスが初めての異国の地バンコクとが、
デジャブのように、見事なまでにシンクロしたのです。

突っ張って、突っ張って、生きてきたけれど、
心の中には、もう、取り返しがつかないぐらいの後悔と懺悔でいっぱい、、、
さらには、将来に対する漠然とした不安・・・

<この先、一体、どうなっていくんだろう???>

生活に疲弊しながら、未来への希望も何もなく、
ただただ現実逃避するように、
総てに虚無的な態度になっていました、、、

「グムパーパン」の主人公がアウトローに身を落としながら、
全くの異文化の地、ニューヨークで、地を這うように生きている、、、
それこそが、自分の姿に投影されていたのかもしれません。

デスティニー・・・

言葉でうまく説明できない焦りと安らぎ、
諦念と滂沱の境地が綯い交ぜになって、、、
無気力になっていたワスのハートに響き続けました、、、

DESTINY・・・

何か、不可思議な空間に包まれながら、、、
映画の最後の最後に静かに語りかけてくるピーターの歌声に、、、
知らず知らず、胸を締め付けられるように、涙を振り絞ったのです、、、


その後、、、後ろ髪を引かれるように、、、二度、三度と、
何かに問いかけるように、何かを確かめるように、
劇場に足を運んで、繰り返し、その「二月」の映画を観ました、、、

ますます、興味深く、ミステリアスに惹かれます、、、

またまるで煙に巻かれたように、、、
この「グムパーパン(二月)」という映画のタイトル及び、
主題歌の意味合いが、直接、何にもリンクしていないのも面白い、、、

ある種、、、「グムパーパン(二月)」という響きやその情景が、、、
それを見聞きする、それぞれの人に、
それぞれ別々な、あるいは普遍的なイメージを喚起させるのでしょう、、、

残念ながら、この映画は商業的にはあまりあたらなかったようですが、
こういう物語を製作するタイの新しき映画スタッフの心意気にも感じ、

自分自身の中では、
タイ映画の観方が根本から変わる分岐点になった記念碑的作品でもあります、、、

その後、VCDが発売されるや、さらに繰り返し観て、、、
その不思議な感動の正体を探ろうと試みましたが、、、

ただただ、わかったことは、エンディングにクレジットが流れるその刹那、、、
この哀切に満ちた「グムパーパン」のメロディーが流れると、
いつも決まって、条件反射的に涙を誘発されるのです。

ですてぃにー・・・

ワスの中では、この映画の主題歌である「グムパーパン」は、
それこそ、抗えない運命的な惹かれ方をしてなりません、、、




その後、暫くして、懇意にしているチェンマイの某情報誌の方が、
ワスと同様に映画&主題歌「グムパーパン」に感銘を受け、

当時、その主題歌の日本語訳を頼まれ、
ワスの拙い訳が誌上に載ったりしました。


その時の、ワスの拙い訳を一字一句違えることなく、
そのままの形でご紹介させて頂きます・・・

*******************************

「二月・・・」 TF訳

きっと人間の運命を操る神々の下僕(天使)の成せるわざだろう。
私とあなたを創造し、そして二人が出逢うように仕向けた。
私に人生の喜びを味わう機会を与えてくれた。
お互い二人が共有する素晴らしい人生の一時を・・・
一方で、彼らは我々二人を同様に引き離す存在でもある。

たったこれだけのわずかな時間の中で、あなたとの別れを余儀なくされる。
ずっと一緒にいたいという希望が叶わないことも知っている。
じゃあ、どうすればいいんだろう、、、成す術もない。

もしも私の人生の中であなたを失うようなことがあれば、
一体どうなるんだろう。
人生は何の意味もなく価値もなく、まるで体中の力が抜けてしまう。
耐えてきた身は打ちひしがれて、無気力と化す。
希望もなく、二度と心が晴れ晴れとすることはないだろう。

明日目が覚めて、あなたの姿を見つけられない時、
心の中で打ち震え、うわごとを繰り返すしかないだろう。

たとえどんな理由があろうとも、
お互い離れ離れにならないといけないとしたら、
どんなに哀しいかしれやしない。
死ぬほど哀しいよ・・・

*******************************


どうでしょうか、、、???
タイトルの「2月」には、全く関係ないところで、
この物語が語られていますよね、、、

何か、目に見えない、運命の(女)神に、
人それぞれの生き様をいざなわれているような、
全く不思議な感覚があります。


長々と引っ張ってきましたが、
この「グムパーパン」というタイソングは、いろいろな意味で、
ワスにとって、忘れがたき最も感銘を受けたタイの歌の一つです

その歌を聴いたずっと以前から、タイの歌にはまり、
タイの歌をそのままの言葉で咀嚼しながら、
一方で、気に入ったタイの歌を日本語訳にしたりしました。

スカス、、、それは、ある種、、、
けっこう無意味な行為だったかもしれません。

タイ語をそのまま、日本語に訳したところで、
その行間や背景に漂う本当の意味合いは、
その母国語の言葉でしか、わかりえないと思うからです。

そこで、そのメロディーから広がる情景に、
全く別の自分自身のストーリーを組み立てて、
自分の母国語である日本語で、言葉遊びをしたりしました。

そのジグソーパズルのように一つ一つの言葉を選ぶ手探りな作業は、
時にワスを夢中にさせ、タイの歌を聴くという試みに、
新たな可能性と喜びを見出したのです。

ワスのようなお馬鹿さんが延々とない知恵を絞って、
タイの歌を日本語に紡いでいくというその行為それ自体が、
苦しみでもあり、また、これ以上ない愉しみだったりします。


さて、前述しましたように、、、
この「グムパーパン」を初めて聴いたその瞬間から、、、
ワスが最初にバンコクに辿り着いた眩しいまでの開放感と、
切ないぐらいのいとおしさが、胸に沁みました、、、

この歌の中に、バンコクのイメージと重なり合った、、、
混沌とした猥雑で底知れない無限のやさしさを感じたのです、、、

さらには、物事には、すべて、二面性があります、、、
バンコクの中にある表の顔と裏の顔、
極めてわかりやすい構図かもしれません。

正と邪、静と動、陽と陰、光と影、昼と夜、喜怒哀楽、、、
総ては、コインの表と裏、背中合わせ、天国と地獄、天使と堕天使、、、

そんなことを夢想していると、この「グムパーパン」と云う歌には、
何の躊躇することなく、まるで自分の意思ではないみたいに、

自然に言葉の洪水が溢れ出て、モノの5分とかからず、、、
メロディーの中に、字面が面白いようにはまっていったのです。



17年、18年前のワスは、、、当時、まさに自暴自棄で、
糸の切れた凧のように、根無し草で風来坊でした、、、
明日への希望が全く見出せず、生きる意味さえはき違えていました。

ひょんなことから、極寒のアメリカシカゴから、、、
初めて紛れ込んだ、常夏の国タイランドは、無国籍で妖しげな街!?バンコク
その時の筆舌しがたい感動と衝撃はいまだに忘れられません、、、

バンコクという街並みは、
限りなく優しく、限りなくおっかなく、
限りなく懐が深くて、限りなく底が浅い。。。

何もかも相反する二面性が、いかほどにも矛盾することなく、
こんなワスをも、スッポリと、無条件に、
あたたかく、包み込んでくれました、、、

ワスは、タイ、、、このバンコクという街に出逢わなかったら、
一体、どうなっていたのだろう???
これこそが、言葉で説明のつかないDESTINY・・・

その想いは、瞬間と永遠の中で続いていきます、、、
反目する「瞬間」と「永遠」こそが、時に同義語になりうるのです、、、


言わずもがなの講釈を延々と垂れてきましたが、、、
洒落ということで、どうか、お赦し下さい、、、

「グムパーパン」のメロディーに乗せて、、、
ワスの初めてのバンコクへの泣きたいような熱き想い、、、
当時のワスの悲鳴に似た感動をどうかお汲みとられて下さいませ・・・





「(堕)天使の都(クルンテープ・マハーナコン)」

旅路の果て 追憶に煙る糧
出逢いと別離(わかれ)は 不思議な縁(えにし)
喜びと哀しみ いつも背中合わせで
光と影 昼と夜の顔

常夏の地 スコールの嵐
激しさと優しさを 垣間見せる
苦しみを安らぎに満ちた 微笑に変えて
緩やかな一時の戯れ

もしもあなたと逢わずにいたら
私はただの彷徨い人
耐えてきた身は 打ちひしがれて
希望のない 明日(あした)に返る

瞬間は永遠の中で 生きてきた証(あかし)
クルンテープ=マハーナコーン
躊躇いもなく 黄昏が続く 
人いきれ 甘く危険な香り
天使の都


もしもあなたと逢わずにいたら
私はただの彷徨い人
耐えてきた身は 打ちひしがれて
希望のない 明日(あした)に返る

永遠は瞬間の中で 迸る生命(いのち)
クルンテープ=マハーナコーン
言の葉もなく 魂が咽ぶ 
人心地 カタルシスの街
堕天使の都





**********************************

この歌に関しまして、あまりにも想い入れがあり過ぎながら、
ここまで長々と、ご清聴お付き合い頂きまして、
誠に真にありがとうございます、、、

嗚呼、、、

TF:タイフリーク拝、、、



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