2006年03月14日

ホワイト=デーは、キャンディー&キャンディー(転)



平々凡々な日々の生活に、それはまさしく晴天の霹靂だった。

娘、キャンディーがタイの大手映画会社、
サハモンコンフィルムからスカウトされて、
映画を撮影することになったのだ。

それも、ただの子役のチョイ役ではなく、
堂々と主役でのオファーである。

サハモンコンフィルムといえば、タイの重鎮的映画会社で、
あのタイ映画史上空前と輝く「スリヨータイ」の製作元である。

焦った。そんなうまい話があるわけはない。
父親が日本人と知ったうえでの、
手の込んだ悪質な詐欺に違いないと、
完全にそう決め付けていた。

しかし、それにしては対応が丁寧で、
何度も何度もオーディションを繰り返し、
最終チェックを経て、いよいよ話が本決まりとなる。

タイの山岳民族の生活を描いた事実に基づいた、
心あたたまるヒューマンドラマ(になるはず)だった。

撮影は、何ヶ月も電気もないチェンライの奥山深く、
山岳民族のエリアに滞在するので、
おいそれと帰れず、娘も学業の長期欠席を余儀なくされた。

また、撮影本番に入る前に、約1ヶ月、
チェンマイ大学の有名な民族学の先生にアカ族の言葉を習い、
また、芝居の稽古も同時につけてもらった。

ここにきてようやく、事の重大性を知り、
遅まきながら興奮し、一人の父親として舞い上がった。

2003年、10月末、
キャンディー、小学校4年生(9歳)のときである。

元々、このストーリーは、
山岳民族を描いたドキュメンタリーもので、
原作はタイでこのジャンルで有名な賞をとった、
バーンノークTV」というのを下敷きにしている。

ワスも特別にその映画の分厚い台本を内密にいただいて、
必死になって、一晩かかって読み通した。
なかなか感動物である。

物語は、

<主人公ミジューが、
村々の大事な豚の出産現場で、
大失敗をやらかすところから始まる。

そして、観光客相手に山岳民族の生活を追いながら、
電気も何もない彼らの貧しい生活の中に、
突如として、TV放送施設が、
彼らのテリトリーに実験的に据え付けられる。

山岳民アカ族は、その映像に戸惑いながらも、
彼らの掟、伝統や風習をを頑なに守る一方、
ミジューが、その持って生まれた天真爛漫さから、
彼らアカ族のルールから逸脱し、トラブルを巻き起こす。

しかし幼く純粋な彼女の突飛な行動を通して、
いつしか古い大人たちの考え方に風穴を開けていく。
最後は、なかなかお涙頂戴物の、
感動シーンが控えている。>


家人は、ずっとチェンライの山奥に泊り込みで、
キャンディーに付き沿っていたが、
ワスは下の息子の面倒をみながら、
チェンマイの自宅で待機していた。

2度ばかり、その撮影現場にお邪魔したが、
わずか隣の県であるチェンライであるのに、
その現場は半端でなく遠かった。
撮影チームはすでに半年にわたって、
その現場に携わっているという。

最初、チェンマイの自宅に映画会社の派遣したバンが来て、
息子共々、娘の撮影現場に陣中見舞いに行く道すがら、
一人のきれいなお嬢さんをチェンマイ空港で拾っていった。

共演者の一人だという。
バンコクから撮影の強行軍で相当疲れていたらしく、
ぐったりとしていた。

どこかで見た顔だなあと案じながらどうしても思い出せない。
彼女は何と、ピムパン=チャラーヨンクップその人であった。
後になって気がついた。しかしもう遅すぎた。

その年、2003年の7月、タイ映画の封切りで、
彼女主演の「クーンバープ プロムピラーム」を、
しっかり見ており(しかも2回劇場で)、
ちょっと頭の弱い汚れ役の彼女に強烈な印象をもった。

映画は、あえて訳せば、「プロムピラームのオゾマシイ事件」。
これは、30年前にプロムピラームという地で、
実際に起こった世にも残酷で悪質で信じがたい事件である。

ピム
ピムパン=チャラーヨンクップの
ニックネームはピム。

映画での彼女は,
完全に別人であった。

実物は、
映画より遥かに美形。




後日談として、ヒロインを演じたピムは、
タイのアカデミー賞にノミネートされ、
2004年1月、見事第13回スパンナホン賞
主演女優賞の栄冠に輝き、時の人となった。

このときの主演男優賞が、日本でもお馴染みの、
アッサニー=スワン「ビューティフルボクサー」である。

競演

共演者と、、、
左端がピム
その右隣がキャンディー





撮影現場
撮影は、
紆余曲折の果て、
総て、無事、
撮り終えた(はず)だった。
いずれ、製作現場で
のおもしろいエピソードや詳細を、
またの機会に
ご紹介できたならと念じる。

豚出産
問題の豚出産の撮影。

封切り興行予定は、編集、プロモーションを経て、
早くて、2004年4月、遅くても6月ということだった。

それが、途中、撮影の一部撮り直しや、
原作者と製作サイドでの契約の軋轢が生じたり、
果ては、映画タイトルが当初の「バーンノークTV]から
主人公ヒロインの直接名前を取って「ミジュー」と
変更されたりと、スッタモンダあった。

しかし、いくら遅れてはいても、
それでもまだ、娘の映画デビューには大きな期待感があった。

翌2004年初頭の、第2回バンコク国際映画祭では、
映画関係者の招きで、家族共々、バンコクへ招待された。

<(結)へ続く>


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