2010年01月19日

二つの「哀歌」!?



「哀愁」と云う文字には、どこか切ない響きがあるけれど、
いつ頃から、「哀しい」という文字に惹かれたのか記憶が曖昧である。

そして、いつ頃からか、かなしいを、「悲しい」ではなくて、
「哀しい」の文字を多く使うようになっていた。

感覚的なものではあるけれど、
「哀しい」の方が、どこかはかなく切ないイメージを喚起させる。

「哀」と「愛」

同じ語感に包まれながら、
この二つの文字は、
まさに表裏一体であるような気がする。

愛するがゆえに哀しくなり、
哀しいがゆえに愛おしくなる。

哀しい歌と書いて「哀歌」

世界中で、哀しい歌、
すなわち「エレジー」
を代表する歌は数限りなくあるだろうけれど、

一昨年、、、日本の歌に全く疎いワスは、、、
ある最も信頼している方より一つの歌をご紹介された。

これを最初に聴いた時は、まさに鳥肌が立った。
胸が締め付けられるように心の奥底を抉られ、
いろいろな想いが走馬灯のように頭をよぎった。

平井堅「哀歌(エレジー)」


この「哀歌(エレジー)」のタイトルから、
忘れ去られた想いが、イッキに30年ぐらい昔に遡る、、、

当時、東京の大都会の谷間の隅っこで、
明日への夢や希望もなく、
生きているのがつらくてつらくてならなかった時、

ふと街角で聴いた 
金子裕則さんのそのものズバリ「哀歌」

まるで金縛りにあったかのように、
当時の哀しみの淵で彷徨っていた、
ウブなワスの心が鷲掴みにされました。

金子裕則「哀歌」




今から振り返れば、軟弱だと誰かに罵られるかもしれないけれど、
当時、その歌にどれだけ、心を癒され慰められたことか、、、

透き通るような甘く切ない声質が、、、
まるでそのまま心の細胞の中に静かに沁みわたってきた。

ない金をはたいて、
当時の金子さんのLP盤を擦り切れるほど聴いた、、、

そうして、突然、ふと思った。。。


今、つらいつらいと感じていることは、
錯覚なんじゃないかと、、、

ソステ、、、

哀しいというのは、
決して恥ずかしいことじゃないんじゃないかと、、、

つらいことをつらい、哀しいことを哀しいと云えば、
どこか心根の弱い欠陥じみた暗い人間のように採り上げられたりするけれど、
人間の精神は、常に右に左に振れている、、、

ずっとポジティブでありえないように、
そのままずっとネガティブでもありえない。

哀しみのどん底を突き詰めれば、
どこかで、それと相反する喜びが顔を出してくる。

哀しみは哀れむと同時に、慈しむ気持ちに繋がり、
哀と愛、、、
人を愛おしむ想いに包まれる。


つらいことをつらいと認め、
哀しいことを哀しいと素直に感じたら、
心がスッカリと楽になりました。


どんな歌がどのような形で人の心を打つのか、
それは、その当の本人にしかわからないけれど、


歌との出逢いも、一期一会、、、


歌がその時代時代を映し出すように、
その人それぞれの心の内面にまで、
深く深く入っていくに違いありません。




現代では、このネット上で、
スッカリ忘れ去ってしまった過去の記憶を、
信じられないような鮮やかさで再現してくれます。


哀しみから逃げるのではなく、そのままの丸ごとの形で受け入れた時、
哀しみを涙と共に押し流し、心が浄化され、精神が昇華したような、
そんな想いにさえ浸れました。。。

二つの全く違うタイプの「哀歌」

哀しいのは哀しいのだけれど、
同時に、、、
どこか逆説的な元気を呼び覚まされ、

人を敬う気持ちと共に、
心がいじらしく切なく愛おしくなってくる。


皆さんにとっての、
とっておきの心の歌は何でしょう???
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