2017年07月14日

<今日できることは 今日やる 今やる>

時間が止め処なく不規則になると
朝なのか、夜なのか
時々わからなくなる

光り輝いている太陽が
朝焼けなのか、夕焼けなのか、
どちらも切ないほどに美しい

毎日のあたりまえの中で
ついつい、ボンヤリと
知らないうちに時が過ぎる

何か
やり残したことがあるような

何か
忘れていることがあるような

それでも時間は
待ったなしで、過ぎていく

ためしに、やるべきことを
ノートに列記していく

急がないでいいのもあれば
即、この場で
やるべきこともある

それを、不規則な時間にかまけて
いろいろな言い訳を自分につけて

気がついているのか
気がついていない
フリをしているのか

どこかでそれらの事項に
時効を重ねるように

迷い心にフタをしては
やり過ごしている

完璧でなくていい
不完全でもいい

自分自身に
言い聞かせている

とにかく今日できることを
今日

今できることを
今やってみよう

その繰り返しが
また次へ、また次へ

明日へと
繋がっていくことだから

世界のどこから観る太陽も
上りはじめでも、下りはじめでも
美しさに変わりない

綺麗な朝焼けを
切ない夕焼けを

きちんと自分のこの目で確かめて
今日できることの一つの指針
生きている道標にしたい

<かみさん広島滞在3ヶ月後、タイ本帰国>

元々、年老いた母の介護という名目で、
4月中旬、広島にやってきた家人が、
ビザ3ヶ月満期の今日、タイに本帰国

家人は、広島に来て初めて、
日本での普通の社会生活に触れた。

有り難いことに、
母の具体がとてもいいこともあって、
46時中の直接の介護の必要もなく、

逆に、耳が遠い母と、
言葉では介在できない、
心と心で会話できていたように思う。

何の役にも立たないワスと違って、
いつも母のことを誠心誠意気遣ってくれた
家人には本当に頭が下がる。

もし、ワス一人だったら、
おそらく何もかもがうまくいってなかったような
様々なことが、とてもいいクッションになって、

永年疎遠になっていた母との関係を、
間違いなくあたたかく修復してもらえた。

これまで絶対に体を触れさせなかった母が、
此度、家人のマッサージには、涙を流さんばかりに、
心も体もまかせて喜んでくれた。

タイと日本で慣習も文化も全然違う間柄で、
姑と義理の娘の役割を、とても自然に演じてくれた。

演じてくれたという表現は正確ではない。
実の親子のように気持ちを共有してくれた。

どうしても血の繋がりのない、
また外国人の嫁については、
母にとっても大きな抵抗もあったはずが、

当初は戸惑いながらも、
最後は、出来の悪い自分以上に、

家人の事を誰よりも大切にしなさいと、
耳の遠い母が、叫ぶように、
ワスに説教するに至っては心から有り難かった。

一方、言葉が通じなくても
母の気持ちが人一倍わかる家人は、

ワス以上に、母のことを大事に想ってくれ、
時間があれば、母に逢いたいと、
ワスをせっつくように、母の部屋を訪ねていった。

母がよくわかっているのかどうか、
最後に、家人がタイに戻ることを
きちんと伝えた。

意思の疎通をはかろうとするが、
肝心の部分が通じていないかもしれない。

年老いた母は、あまりよくわかっていずに、
家人が、タイに帰ってもまたすぐに戻ってくる
というように解釈している。

それどころか、バンコクに残した娘と息子を、
近いうちに広島に連れ戻ってくるというように、
思い込んで、訴えてくる。

今、母の具合はそれほど悪くない。
だけど、母の意識がはっきりしているうちに、
大きくなった孫の姿も見せてやりたいとも思う。

お互いが、半分笑顔と半分泣き顔で、
母と別れて、タイに戻っていく家人。

タイに戻る前日、
これでもかというぐらいに
日本でのお土産を買い込む家人。

広島駅から胡町、薬研堀、八丁堀、紙屋町、本通
と二人でひたすら歩き続けて、
広島市内の人ごみの温もりを肌で感じる。

時間がかかるかもしれないけれど、
今度は、二人の子供たちを連れて、
広島の地に戻ってくることを誓い、

早朝一番広島駅発、5:55広島空港行き、
リムジンバスに乗って、タイに戻っていった。