2013年05月04日

「考慮考」と「考慮慮」



上から読んでも、「考慮考」(コウ・リョ・コウ)
下から読んでも、「考慮考」(コウ・リョ・コウ)

決して、ふざけているわけではなく、
「考慮」という言葉について考えてみる。


「考慮」とは、
「考える」と「慮る」という、
2つの思考動作が組み合わさっている。

「考える」は、「カンガ・える」と読むのに対し、
「慮る」は、ちょっと厄介である。

「慮る」は、「オモイハカ・る」から音変し、
「オモンハカ・る」→「オモンバカ・る」→「オモンパカ・る」と、
<ハ>の音が、清音から濁音となり、半濁音化しているという。

ワス個人的には、ずっと、
「おもんばかる」と仮名送りして呼称しているけれど、
何とも独特で古風な響きを伴い、厳粛な想いに捉われる。


ここで、「考える」という意味を考えて!?みると・・・

想像する、予想する、予測する、、、から、
判断する、意図する、決意する、判断する、や、
工夫する、結論を導き出す、、、などなど、

つまりは、、、
知識や経験などに基づいて、筋道を立て、
何かを思い廻らすことになるだろう。

一方、「慮る」という意味を慮って?!みると・・・

大元で「考える」ということに繋がりながら、
周囲の状況を鑑みながら、よくよく考え、
結局は、何かを思い廻らすということになるのだろうか。

「考える」と「慮る」が合わさった「考慮」には、、、

例えば、「考慮します」という言葉を聞くと、
「検討します」・・・というニュアンスを漂わせながら、
どこか胡散臭い響きを醸し出す。

そもそも、「慮」という言葉が、
何とも不可思議で、妖しくて、奥深い。

「慮」そのものの字面の中に、
「思」という絵図が見え隠れしている、


「考慮」から喚起されるように、、、
「思慮」、「熟慮」、「浅慮」、
はたまた「遠慮」という言葉までも連想してくる。



『To be or not to be, that is the question.』
「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ・・・」

ハムレットの有名な台詞に導かれるように、、、

考えて、考えて、考えて、慮って、慮って、慮って、
どうすればいいか、考えるほどに、慮るほどに、
わからなくなってくることも多々ある。

生きるべきか、死ぬべきか・・・ほどではないにしろ、

行くべきか、退くべきか・・・
やるべきか、やめるべきか
続けるべきか、閉めるべきか・・・

嗚呼、考慮するほどにわからなくなってくる。


意味もなく、考慮考するほどに、
「慮」という文字に溺れてしまう。

あさはかで軽々しい計略のたとえで、
「軽慮浅謀」という言葉がある。

極めて意外であり、思いがけないひどいことのたとえで、
「慮外千万」という言葉さえある。

いかなる賢者でも、
多くの考えの中には一つくらい誤りがあるということから、

どんなに考慮したつもりでも、
思いがけない失敗があるというたとえの、

「千慮一失」・・・から、

その反対に、、、

いかなる愚者でも、
多くの考えの中には一つぐらい正答があるということから、

どんなに馬鹿げたことでも、
多く思慮を廻らせば、一つぐらいうまくいくたとえで、

「千慮一得」・・・という有難き言葉もある。


こんなに情けないワスですら、
どんなに慮っても、多くを考えれば、
いつか正解に行き当たるのだろうか???

わからない。

考えるより先に、アクションを起こした方がいいこともある。
グダグダとアレコレ考えるよりは、
先に行動して、後から慮るということである。

ワスの好きな言葉で、
文字通り「迷ったら、GO!!!」だ。


「考慮考」・・・


8年間続けてきた仕事に対して、
これまでずっと、答えの出ない、出口の見えない問題に、
2ヶ月も、3ヶ月も、半年も、取り組んできたけれど、

考えに考え、慮るに慮り、考慮に考慮を重ねて、
やっぱり、うまい結論が出ないけれど・・・

とにかく、どんなに無様な姿を晒しても、恥曝しででも、
生きていくために、反省や慮るだけではダメで、
やはり、行動していかないと、答えが出ない。

「考慮考」・・・


5月に入り、手探りながらでも、復活に向けて、
それでも、たとえ間違った行動の後でさえ、
考え、慮り、考慮したい。


それを、他の誰でもない、
自分自身に言い聞かせたい。

「慮る」という言葉に惹かれていく。

慮、慮、慮の慮・・・

考慮することを慮るなら、

「考慮慮」(コウ・リョ・リョ)???

屁理屈をこいてないで、
初心に返って、
死に物狂いで、これから頑張っていこう。

嗚呼、、、「考慮慮」哉。。。