2013年03月03日

クンメー・カンチャナ、永眠す・・・



「あなたがたを襲った試練で、
人間として耐えられないようなものはなかったはずです。
神は真実な方です。
あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、
試練と共に、それに耐えられるよう、
逃れる道をも備えていてくださいます。」
<新約聖書: コリントの信徒への手紙10章13節>

2013年・・・

タイ全土最低賃金法の改正
急激な円安による為替差損
(足骨折)義母の寝たきり介護
ビザ更新のトラブル

年が明けても、師走のごとく、
ただただ綱渡りのごとく闇雲に走り回る日々が続く。

1月は、いたずらに過ぎ、
2月は、逃げるように過ぎた。

2月末、何とかすべての給金を支払い終え、
全身脱力状態で、体が痺れたように全く動けなくなる。

3月1日、早朝、新しい月の始まり

スタッフのダーウさんが大声を上げ、
泣きじゃくりながら、工場の敷地に、
バイクで駆け込んでくる。

「クン・メーが亡くなった・・・」

最初、その言葉の意味が全くわからず、
すべての時間が止まった。

スタッフ全員にとってのクン・メー(お母さん)、、、
ワスにとって、仕事の大切な相棒であり、
チェンモードの大黒柱、大番頭、

大冠(=オオ・カンチャナ)こと、
クン・パー・カンチャナ(カンチャナ小母さん)

小学校卒業以来、ずっと縫製の仕事に携わり50年。
誰より健康で、何より仕事が好きで、
常に進歩的でポジティブで、人を取り込む魅力に溢れている。

8年前、チェンモードを立ち上げた時の取締役であり、
実質的な現場の長であり、絶対的な優しさと威厳に満ちている。

縫製に対する知識や技術的な裏づけ経験は秀でており、
彼女ほど味方につけて頼もしい存在はいない。

換言すれば、彼女が居たからこそ、
今の仕事を一緒にやってきたとも云える。


人一倍、頑強な体を有し、何十年来病気一つしたことなく、
一番に工場に来て、一番最後に離れる 
身をもってみんなを引っ張っていく頑固なまでの職人気質。

仕事の後のビールをこよなく愛し、
愉快で楽しい飲みっぷり。

そんな彼女が年が明けて、
大好きなお酒を控えるようになった。
胸部に圧迫感があって、体が少しだるいという。

体調がすぐれないのに、それでも仕事を休まない。

2月に入り、嫌がる彼女を説き伏せ、
無理やりに病院に連れて行く。

肺に水が大量にたまっていた。
すぐに肺に穴を開け、中の水液を抽出する。

お医者さんの診断で、
悪性ではないということで皆安心した。

暫く、入院し、その後の経過をみて、
薬投与による自宅療養にしてもらい、
すぐにも仕事に戻るという気概でいっぱいだった。

それはまだ、無理だから、
もう少し様子をみるようにと、
逆に我々が、彼女を宥める側に回る。

退院して、3日後、、、

2月28日、病院に定期検診に行って、
異常なしで、そのまま、自宅に戻る。
その夜は、普通に食事をし、10時過ぎに就寝したという。

それから数時間後の、明けて3月1日の早朝、、、

工場を開けたばかりの空間に、
先のダーウさんの声が響き渡る。

「クン・メーが亡くなった・・・」

何が何だかわからない。

カンチャナさんは、朝方、7時ごろ、不調を訴え、
至急、病院に搬送されたところ、
途中で意識を失い、病院に着いた時には、もう手遅れだった。

急ぎ、病院に向かい、
横たわったカンチャナさんと対面する。
まだ、亡くなって1時間と経っていない。

我を忘れて、
涙があふれて仕方なかった。

顔の頬の肌に触れた。
まだ生あたたかい。目尻にうっすらと水滴が滲んでいる。
今にも目をあけて、何かを語りかけてくるようだ。


<クン・パー・カンチャナー>

あまりにも、唐突で、
あまりにも、あっけなく、
あまりにも、潔い、、、


何も言葉が出ない。

母と慕っているカンチャナさんの突然の死に、
娘や孫のようなスタッフの皆も、
泣きじゃくり、ただただ途方に暮れる。


その日の夕刻、
病院からサンカンペンの会社近くの、
バーンノーイ寺に移送して安置する。

この寺で、1週間、毎夜、お坊さんにお経をあげてもらい、
6日、午後7時、社葬の形でお通夜、本葬を執り行い、
7日、午後1時、火葬にて、荼毘に付す。

カンチャナさんが誰よりも愛した仕事、
カンチャナさんが誰よりも愛した会社。
カンチャナさんが誰よりも愛した家族仲間たち。


何十年間も休まず、
ただただ働きずくめの、
クン・パー・カンチャナ・・・


c.JPG

カンチャナ パッタナヂャック 享年62歳

どうぞ安らかにお眠り下さい。


合掌